失恋相手が恋人です
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交差点に近いカフェで長い話をした後。

まだまだ太陽は明るく周りを照らしていたけれど、既に夕方に近かった。

一日の暑さを溜め込んだ様な熱気が立ち上っていて、下校途中の制服姿の学生の姿も多くなっていた。

葵くんは、初めて私の家まで送ってくれた。

何度か一緒に帰ったことはあったけれど、いつも大学の最寄駅までだった。

けれどこの日は家まで送るよ、と当たり前のように言ってくれた。

慌てた私は即座にお断りをしたのだけれど。

「別に沙穂の自宅に上がり込みたい訳じゃないし。
今日はそんなこと考えていないし。
ただ、もう少し一緒にいたいだけ」

と言って更に私を赤面させた。

真っ赤になったまま、反論できずにいる私の手をギュッと握って、葵くんは優しく微笑む。

その外見から、相変わらずの注目を浴びている葵くん。

それでも葵くんは気にせず私の手を繋いでゆっくりした歩幅で歩き出す。

いつもと同じ体温が高めの温かい手。

夏でも冷たい私の手の温度をあげてくれる。

辺りに響く蝉の声が途切れた時。

葵くんが口を開いた。

「沙穂、俺達、ちゃんと付き合ってみない?」

お茶でも飲まない、というような気軽さで言われた。

「え……?」

驚いて足が止まる。

再び蝉の声が鳴り響く。

「……ごめん、今……」

「付き合ってみない?って言った」

「え、今も……そうじゃないの……?」

混乱する私。

「そうだけど、今は仮の相手だろ?
お互いに。
好きな人ができたら別れるって条件とかもあるし」

葵くんは手を繋いだまま私の顔を覗きこむ。

「……沙穂に本当に好きな人ができたら、別れることを考えた方がいいのかもしれない。
でも、今、俺は何かあやふやな失恋恋人みたいな関係じゃなくて、それなりにちゃんと沙穂と向き合いたいんだ。
普通に会って話して、出かけて。
普通の彼女っていうか……そういうのになってほしいんだ」

頭が真っ白になった。

私が本当の彼女?

葵くんは私に何を望んでいるのだろう。

「失恋恋人を今までしてきて、何かぎこちないし、友達でもないし、連絡もお互いに取りづらくなかった?
俺、沙穂といる時間は……そんな長く過ごしてなかったけど、嫌じゃなかったんだよな。
だから、これから一緒にいる時間を長くしても、うまく過ごせると思うんだ」

彼の言葉の真意がなかなか見えない。

でも彼は私に好き、とは言わない。

……当たり前だけど。

そして私も。

嘘を重ねたままの私は言えない。

「……葵くんに好きな人ができたら……どうするの?」

声が震えそうになりながら聞く。

それが一番恐いこと、気になること。

「……今は沙穂がいるから」

どっちともとれる返事。

でも瞳だけは真剣に私を見つめる。

私が大好きな焦げ茶色の瞳。

……ズルいよ、葵くん。

そんな瞳で見られると私はここから動けない。

たくさんのことが絡まった始まり。

普通の恋人のようにはならない始まり。

別れることが前提の始まりだった。

それから建前だけの付き合い方になって。

それが今日もう一歩近付いたと思ったら。

近付いたのに、気持ちがわからない距離にまた離れて。

だけど。

この温かい手を離す勇気は私になくて。

傷つくことに、傷つけることになるとしても私は傍にいたいと願ってしまう。



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