愛し君に花の名を捧ぐ
番外編

揺揺

◇ ◇ ◇

 きらきらきら。
 窓から差し込む春の陽光を反射して、板張りの床に光の欠片が散りばめられる。リーリュアが右手を左右に動かすと、しゃらしゃらと涼しげな音が加わった。

「これは髪飾りなの?」

 すっかり馴染みになった黒髪の商人に顔を向けると、緩やかに波打つ金色の髪が遅れてついてゆく。

「左様でございます、姫様。簪の一種で、歩揺と呼ばれる物です」

「ほよう。ほよう。ほ、よ、う」

 初めて聞く葆の単語を小さな口が何度も繰り返す。その間にもリーリュアは、木の葉状にした金が連なる髪飾りを揺らし、音と光を作り出していた。
 それほど大ぶりなものではないが、幾枚も花びらを重ねて作られた花や、各々異なる葉脈を持つ葉の緻密さからも、高い技術が窺われる。

「葆のお城にいる女の人は、皆これを髪に挿しているの?」

「我が祖国は豊富な金鉱を有しております故、自ずと金細工も盛んになりました。そちらのお品も熟練の名工が手がけた逸品。後宮におわす方々――皇帝陛下のお妃様にお納めしても、決して恥ずかしくはございません」

 商人らしく滑らかな口上は、まだ葆の言葉を勉強中のリーリュアには早すぎて、半分も理解ができない。解答を求めようと、不機嫌な顔で戸口に立つキールを振り返った。

『オレ!? オレに訊かないでくださいよ。……“金”とか、“皇帝の妃”がどうとか?』

『葆の、皇帝の、お妃……』

 リーリュアは歩揺を目の高さに掲げて吐息混じりで呟く。一拍後れて、自分の口から漏れた言葉に、ぴくりと眉を跳ねかせた。

「あっ! ダメよ、キール。ここではアザロフ語を使ってはいけないの。約束したでしょう?」

『そんなこと言ったって……』

 自国にいて自国の言葉を使うことをどうして制限されなければならないのだ。異議を申し立てようとするキールを、リーリュアは口を尖らせ黙らせる。

「言葉を早く覚えるには使うことが一番だって、言語学の先生も言っていたわ。決めた! 今日からお城でも、ふたりきりの時は葆語でお話ししましょう。いいわね?」

「はっ? なんでオレまで……」

 抗議のため小さな主《あるじ》に近づいたキールは、あと一歩のところで立ち止まり目を細めた。

「どう? 似合う?」

 手にした歩揺を自分の髪にかざし、嬉しそうに微笑んでみせる。
 キールの目には、黄金で作られた花びらよりも柔らかい輝きを放つ髪が、花心にあしらわれた珊瑚より艶やかな口唇の方が、数段眩しく見えた。

「よくお似合いで。お気に召されましたら、そのままお持ちになられますか」

 愛想のいい笑みを浮かべた商館の主人は、さっそく揉み手で商談をまとめにかかる。
 しかし、手を下ろしたリーリュアは毅然と首を横に振った。

「こんな物を持って帰ったら、行儀作法の授業を抜け出してここへ来たことが、父さまや母さまに知られてしまうもの」

「でしたら、お城に納品するほかの荷と合わせて……」

 なんとかして売りつけようとする主人を制し、そっと歩揺を机の上の桐箱に戻したリーリュアは小さく肩をすくめた。

「そんなのいけないわ。これは高価な品物なんでしょう? 今この国には、お金を使うべきところがもっと別にあるはずよ。そういうのを、さんさん……さんさい?」

「“散財”。無駄遣いのことですか?」

「そう、それ! すごいわ、キール! よく分かったわね」

 手を叩いて賞賛され、キールは決まり悪そうに顔を窓の外へ向ける。

「リーリュアさま。そろそろ城へ戻らないと、この前みたいに、また近衛たちの捜索隊が出されてしまいますよ」

 促されたリーリュアは、もう一度だけ名残惜しげに歩揺に視線を落としてから、アザロフの王城下に設けられた葆国の商館をあとにした。

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