◇水嶺のフィラメント◇
「ちゃんと食べていたの? 少し痩せてしまったみたいだ」

「フォルテがいつも傍に居るのだもの。食欲がないなんて言ったら、すぐパンを口に突っ込まれるわ」

 柔らかく抱擁する肩越しに、笑いながら頬を膨らませるフォルテが映る。けれどその顔は一瞬くしゃくしゃっと泣き顔になって、娘を見守るような母親の面差しを見せた。

 深く一礼をした後、フォルテは静かに退室した。

「ありがとう、レイン。あたしを見つけてくれて……」

 二人きりにされた空間が、全てのためらいを押しやってくれた。震える腕はゆっくりと広い背を(いだ)いたが、刹那力を取り戻したかのようにギュッと彼を抱き締めた。

「昨夜君たちの使いが僕を見つけてくれたんだ。夜半には此処まで辿り着いていたけれど、暗い時分に訪れて、この部屋に明かりを灯してしまうのは不自然だと思ってね……起き出した民衆に紛れて合流出来るまで、近くの空き家で待つことにした」

 僅かに自由にされて、ふと視線がかち合った。いつものように優しく温かな微笑み。

 レインという名の通り、雨のように降り注ぐ長い睫毛(まつげ)の下に、リムナトの湖水を思わせる透き通った碧い瞳が揺れる。

 その吸い込まれそうな眼差しが急に近付いてきて、アンは思わず目を(つむ)った。瞑ったと同時に零れた涙が、柔らかな唇に()き止められた。

「レイ……ん」

「こんなことをしている場合ではないのは分かってる。でも、せめて今だけは──」

 それからどれくらいの時が経ったのだろう。もう一度アンの腕から力が抜けてしまうまで、二人の唇は同じ温度を分かち合った──。


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