ありのまま、愛すること。
「愛する母へ」 あとがきにかえて




 ─「ありがとう」

 お母さん。私はお母さんからこの命を授かり、本当に幸せです。

 お母さんのお陰で、私は嫌いな人が一人もいません。だから、今、こうしてたくさんの「ありがとう」をいただく毎日を送ることができるのだと思っています。私はそのことだけに、この、お母さんからもらった命を、思う存分、大切に使わせてもらっています。

 お母さんのお陰で、自信と誇りをいつも胸に抱えて生きることができているのです。

 だからお母さん、私のことを見守ってくれていて、ありがとう。

 
 実は、お母さんに伝えたい、胸が張り裂けそうになる出来事がありました。

 それを話す前に、少し昔のことを書かなければいけません。

 私が30歳のころでしょうか。当時の私の店に通ってくれていた、ある酒屋さんの営業マンがいました。

 あるときからその方の顔を見なくなったので配置転換でもあったのだろうと、顔こそ覚えていたものの、名前も忘れてしまっていた方です。

 その方が、先日私が震災の被災地である陸前高田市を訪れたとき、声をかけてくれたんです。「お久しぶりです、渡邉さん」と。

 彼は陸前高田市にご実家があり、そちらに転居し、牛乳配達の仕事をしていたそうです。ご家族はご両親と、奥様、10歳の男の子、6歳の女の子、3歳の女の子の7人家族でした。

 あの地震が起きた日。10歳の男の子は小学校にいたのでそのまま学校に待機していました。このお父さんは念のため家族全員を避難所に移動させ、ご自身は一人で店を守るために残ったのです。

 すると、運悪く、避難所は波にまれ、5人の家族は全員亡くなられてしまいました。

 店にも波が来て、この方は流れてきた屋根の上にしがみつき、一昼夜過ごしたそうですが、無事に一命をとりとめました。10歳の息子さんも、無事でした。

 親子は今、気仙沼に移り住んで生計を立てているのだそうですが、息子さんの手を引いたこのお父さんが、陸前高田市を訪れた私に会いに来てくださったというわけです。

 私はその10歳の男の子の手をただただ握り、悲しみを分けてもらうことしかできませんでした。

 私も10歳のときにお母さんを亡くしました。それでも、私の比ではないです。この子はお父さん以外の全員を、そして家までを、この津波でなくしたわけですから。


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