三十路で初恋、仕切り直します。

「試した?」
「試したじゃない。『居酒屋のカミさんになるか』って。試してないっていうならなんで『トミタの社員の奥さんになるか』って訊かなかったのよ?」


責めているように聞こえないように笑いながら、出来るだけ明るい声で言っていた。


「トミタの社員だって名乗って、もしわたしが他の女の子たちみたいに法資の肩書きに食いついてきたら、わたしのことなんて相手にしてなかったんでしょう?ゆうべのことだって、もしすごく体の相性が悪くて、わたしの体もなにもかも全然好みじゃなかったら、一度きりでわたしのことなんて捨ててたんでしょう?」



言いながら胸がきりりと痛んだ。自分の言葉で自分を傷つけるのも、意外に堪える。



「法資はずるいよ。自分が付き合ってきた女の子たちのこと、『自分の都合ばかり考えて』っていってたけど、法資がわたしにとった態度だって自分のことしか考えていないじゃない」
「……そう言われると、そう受け取られても仕方なかったかもな」

「わたしなんて、肩書きにこだわらなかったとか、気を遣わなくてもいいとか、そんな今の法資が望む条件にたまたま当て嵌まっただけなんでしょ?……軽い気持ちで試すだけ試して、もし条件に合わなかったら、他の女の子たちみたいにあっさり切り捨てられるような、わたしって法資にとってそんな程度の存在でしかないんでしょ?」




たとえ疎遠になっていても、泰菜にとって法資は他の誰とも違う存在だった。


家族でも恋人でもないけれど、幼い頃はずっと一緒に過ごして、誰よりもたくさん喧嘩をして、誰よりもたくさんくだらないことで笑い合い、誰よりも寄り添って密な時間を共有した。


何年も会うことがなくても、これまでもこれからも法資はある種『特別』な存在のままだと思っていた。


でも法資は違った。


自分など、お試しで簡単に手を出してしまえる程度の女だったのだと思い知らされたのだ。





「……たまたま都合のいい女だったって理由だけじゃ、はい、なんて言えない。法資は知らないだろうけどわたし法資が思うよりずっとずっと面倒臭くて夢見がちな、痛い女なの」


振るのは自分の方なのに、ひどくみじめな思いをしながら、それでもその感情を悟られぬように努めて明るく笑いながらその言葉を口にした。






「だから法資とは結婚できません」





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