三十路で初恋、仕切り直します。

「ああ、この辺り。覚えてる」


法資がナビの音声ガイダンスをオフにした。周りの民家を眺めながら法資は懐かしそうに目を細める。

「俺とお前と兄貴とで、よくこの寺の敷地で遊んだよな」

お寺の山門の前を通り過ぎながら法資が言う。



それは遠い日の思い出だ。





今泰菜が住んでいる静岡の一軒家は、もともとは父方の祖父の持ち家だった。子供のときは夏休みや冬休みになると祖父に会うためにこの家に訪れた。

祖父と折り合いの悪かった父親は一緒に来てくれなかったけれど、代わりに何度か法資や英達が一緒について来てくれたことがあった。

祖父も嫌な顔せずにいつも子供たちを歓迎してくれて、夏には虫取りや花火を楽しんだり、冬には祖父の畑の収穫を手伝ったりと、田舎でのひとときをみんなで楽しんだ。





「お前、大学からずっとじいちゃんの家に住んでるんだろう、武弘じいちゃんは?」
「うん、すっごい元気だったよ。……今はそこのお寺のおばあちゃんと同じお墓の中にいるけれど」


泰菜の返答をある程度予想していたのだろう、驚く様子もなくただ「そうか」と法資は静かに相槌を打つ。


「幸い、最期看取ってあげられてね。三年も前の話だけど」

眠りについた祖父の安らかな顔を思い出しながら言うと、法資は急に何かに気付いたようにはっと息を飲み、「……泰菜はすごい女だな」と呟いた。


「え?ああ、でもおじいちゃん家で倒れてそのままだったから、結局わたし介護とか大変な思いは全然してないのよ?」
「じゃなくて。……おまえ、もしかしなくても、武弘じいちゃんが心配だったから進学も就職も地元じゃなくてこっちに拘ったんじゃないのか」




法資の言葉に、不意に泣きたい気持ちになった。




泰菜の父親と祖父はもともと似たもの同士の頑固者で折り合いが悪く、それが祖父の反対を押し切って父が勝手に結婚した挙句に数年で離婚してしまったことで、決定的に二人の仲は悪くなった。


祖父が足腰弱く老いていっても、父親は祖父に手を差し伸べるでも自分の住まいに呼び寄せるでもなく、縁の切れた相手として一切の連絡を断ち切っていた。



だから泰菜は自分が年老いた祖父の傍にいなければならないのは当然のことだと思っていた。祖父には他に血縁がいなかったし、頼れる相手は誰もいなかったから。



祖父との同居を父親からは感謝されるどころか「俺よりも親父の味方をするのか」と詰られたけれど、それもまた離婚してしまった父と母のように、一度こじれた大人同士の仲は容易に修復出来るものではないから仕方ないと納得していた。



でも大好きだった祖父が一日一日と老いていく姿を間近で見ていなければならないのは、想像よりもずっとしんどいことで。祖父が亡くなるまでは仕事と祖父との生活とで飛ぶように過ぎていく毎日が嵐のようだった。


自分で決めたことだったから、誰にも、友だちにすら泣き言を漏らしたことはなかった。一生誰にも労われることも慰められることもないと思っていたのに、今法資だけがつらかったあの頃に気付いてくれた。鼻のあたりがつんと痛み出す。


そんな泰菜の頭を、法資が何もかも分かってるとでも言うように運転席から手を伸ばしてあやすように叩いてくる。






温かい手。



いつの間にか大きくなっていた手。



--------そしてもうすぐ離れていってしまう手だ。





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