先生がくれた「明日」

停電

そしてまた、いつもの日常を取り戻した。

先生との一度きりの過ちには、お互いに触れることはなかった。

もちろん、過ちが繰り返されることは、二度となかった。


私は毎日、先生の元に通った。

先生は放課後に、民法やら経済学やら、難しい法律を重要なところに絞って教えてくれた。

それはとても分かりやすくて、私はどんどん覚えていったんだ。

公務員試験という目標に向かって。



夏の終わりの夜。

いつまでも降りやまない雨と、段々近付いてくる雷。

雷が嫌いな歩が起きてしまいそうで、私はひやひやしながら机に向かっていた。


その時。


ひときわ大きな音と、ピカッと光る稲妻に、私は身を竦めた。

と、同時に。

部屋の中の蛍光灯も、机の上のライトも、一斉に消えた。



「あ。停電。」



少しうかがうと、歩はよく寝ているみたいで起きない。

よかった、と思う。

歩は雷も、真っ暗なところも大嫌いなんだ。

今目を覚ましたら、きっと大声で泣きだすだろう。


私は、机の引き出しをあさって、懐中電灯を取り出した。

ちゃんと電池が入っているか心配だったが、点けてみるとかなり明るい。


どうしよう。

今日の分のページはまだ終わってないけれど。

このまま眠ってしまおうか。


私は、懐中電灯を点けたまま、床のマットの上に仰向けに寝転んだ。

相変わらず、すごい音で雷が鳴っている。

怖くはないけれど、さすがの私も少し不安になる。


窓の向こうに、自然と目がいった。

先生も、きっとまだ起きているだろう。

突然の停電に、困っているんじゃないかな―――


見つめていると、向こうの窓で光がちらっと動いた。

あ、と思って、窓辺に駆け寄る。

先生も、懐中電灯で照らしているのかな。


窓を開けて、くるくると懐中電灯を回してみる。

気付いて、という思いを込めながら。


すると―――


向こうの窓でも、光がくるくると回り始めた。

私は思わず嬉しくなって、窓の外に身を乗り出す。

すると先生は、何やら規則的に光を動かし始めた。



「なに?」



小さくつぶやいて首を傾げる。

あ、まただ。

繰り返してる。

よく見ていて、納得した。



『大丈夫?』



そう言っているんだ。

私も、光を動かす。



『うん』


『あゆむねた?』


『ねた』


『はやくねろ』


『うん』



それから先生は、懐中電灯を4回点滅させた。

きっと、『お・や・す・み』だ。

私も4回点滅させると、向こうのドアが閉まる気配がした。


なんだか少し名残惜しい。

二人だけの真夜中の交信は、なんだかとてもドキドキしたから。


私はもう一度、向こうの窓を見た。

もう真っ暗で、先生は寝てしまったのかもしれない。

だから。

もう、先生は見ていないと思ったから。


私は、密やかな光を、今度は5回、ゆっくりと点滅させた。


『あ・い・し・て・る』


そうつぶやきながら。



すると―――



閉まった窓の向こう側で、懐中電灯が光った。

1・2・3・4・5

私ははっと息を呑む。


違う。

そんなはずはない。

先生はただ、戯れに5回光らせただけだ。


それでも、嬉しかった。

初めて先生と、通じ合えた気がしていたから―――
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