過ちの契る向こうに咲く花は
 まだまだ子どもだった私には、衝撃が大きすぎて耐えることができなかった。立ち向かう勇気もなかった。誰かに助けを求めることもできなかった。
 努力していたつもりだった。その正当な評価として結果がついてきたのだと。けれどそれは私の勘違いで、周りにはそういう風に見えていた。

 その日以来、演技するということができなくなった。私は顧問に適当ないいわけで退部を願い出て、ジュリエットには同級生の子が急遽抜擢された。
 当日、観客席から舞台を見た。その子のジュリエットはほんとうに美しく、気品があって演技も上手だった。
 私じゃなくて正解だったのだと、思い知った。

 そして退部してからも、あの日教室にいた子たちは私に普通に話しかけてきていた。何が変わることもなく、あんなこと微塵も感じさせない様子で。
 だからよけいに怖かった。裏では何を言われているかわからない恐怖が私をひしひしと攻め立てた。

 次の春休み、私は眼鏡を買いに行く。貯めたおこづかいで。
 もう、みんなの輪の中にいるのは限界だった。
 中学三年生になって、私は舞台外で演じることを覚えた。

 目が覚めると、鏡の中の私はもっとひどいことになっていた。
 泣いたわけではないけれど、寝不足でクマができている。それに顔色も悪い。
 なにって、表情がない。駄目だ、と思えど身体が不調なわけではないから、身支度を整え朝ご飯の準備をしにキッチンへとゆく。

 いつもの眼鏡が、とても重たく感じてしまった。でもこれがあればクマもカモフラージュできるだろう。

 静かなキッチンに、冷蔵庫の音だけが響いている。そこから見える外はどんよりとしていて、今にも雨が降り出しそうだった。
 伊堂寺さんはまだ起きていないのか、部屋から出てこないだけなのか、リビングにも気配を感じなかった。そこで、冷蔵庫に貼ってあるメモ書きに気づく。

『先に行く。今日は夕食もいらない』

 簡素な、何もこめられていない伝言。字だけは丁寧で、男の人なのにめずらしいなと思ってしまう。
 貼られているのも、磁石ではなくセロテープだった。それを跡が残らないように丁寧に剥がす。

 一緒に暮らしたとしても、こんなものかもしれない。いやむしろこれぐらいが気楽でいい。
 そう思えるはずなのに、なぜか今の私には、気持ちを暗くする要素でしかなかった。
 ひとりでの朝食、誰もいない部屋からの出勤。
 それらは今までごく当たり前のことだったのに、広い、しかも他人の部屋のせいなのか、それがとてもさみしく感じる。
 まだ二日のことなのに。
 
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