過ちの契る向こうに咲く花は
 会社に着いても、伊堂寺さんはまだ出勤していなかった。家が家なのだから、仕事以外にも色々あるのだろうと気にせず席に着く。先に来ていた黛さんに挨拶すると「……ます」だけ聞こえた。そのいつもの光景にちょっと気が緩む。
 いつまでもくよくよしてもしかたがない。今日は仕事をきちんとせねば。
 深く息を吸って、気合いを入れた。

 その日、伊堂寺さんは出勤してこなかった。ボスによれば本社に行っているらしい。
 まあ別に疑問はなかったし、いないからといって困る仕事もまだなかった。むしろ以前の雰囲気が出てみんなリラックスしたのか、仕事は楽しく進んだと思う。
 おかげで、私も昨日よりはしっかり働けた、はず。

 でもお昼休憩はやっぱり中庭を選んでしまった。伊堂寺さんとの初日の噂がどうなったかはわからない。だから遠慮したのはそっちより野崎すみれさんが原因なんだと思う。彼女が普段どこで昼食をとっているかは知らないけれど。
 どんよりしていた空は相変わらずで、雨が降らないのが不思議だった。風も肌には冷たくて、持ってきた膝かけを肩に羽織る。

「あーおーいーちゃん」
 そんなところにまた鳴海さんがやってくる。手にはお弁当を持っていて、どうやらここで食べる気ならしい。
「どうも」
 そう言って鞄をどけると「ありがとう」とにっこり微笑まれる。

「なんか、元気ないね」
「そうですか?」
「巽がいないから? 大丈夫だよ、あいつ別に女遊びとかしないから」
「……そうですか」
 違います、と言おうとしたところで口が止まってしまって、それしか言えなかった。

「それよりありがとうね。巽のわがままに付き合ってくれて」
「本人はそんなこと思ってなさそうですが」
「そんなことないよ。あいつはちょっと無愛想でそういう表現が苦手なだけ」
 ちょっと、どころではないだろう。そのことばを緑茶で流しこむ。

「わかりません。なぜあんなに婚約者を立てることにこだわるのか」
 食堂で温めたのか、鳴海さんのお弁当からは焼き魚のいい香りが立ち昇る。
 私は冷たい焼きそばパンを頬張って、ため息を我慢した。
「復讐したいんだよ」
「え?」
 返ってくることを期待していなかったから、そのひとことに思わず顔を見る。鳴海さんは微笑んだまま、玉子焼きを口に入れる。
「巽は俺と違って真面目だから。ずーっと良い子だったわけ。でもさ、それって窮屈じゃない。そのうえ、良い子でいたって、全部お兄さんが持っていく」
 
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