過ちの契る向こうに咲く花は
 雨の中、帰宅する。スーツの裾が濡れてしまったから、干しておかねば。そう思いながら玄関の扉を開けた。
 途端、目に入ってきたのは伊堂寺さんの背中だった。
「えっ……ええっ、ちょっ、すみません!」
 いきなりな光景に慌ててしまい、扉を閉めるのがワンテンポ遅れる。

 背広や部屋着だったらまだいい。というかいたのに驚くぐらいですむ。
 背中は、背中だった。正確には伊堂寺さんは下着しか身につけていなかったし、首からバスタオルを下げていた。
 お風呂上がりだったのだろう。ひとり暮らしの男性ならわからなくもないスタイルだ。まあ下着を履いていただけ良い。
 ただ、この時間帯なら私が帰ってくる可能性を配慮していただきたかった。

 男の裸を見て恥ずかしがる歳でもないかもしれない。けれどまあ、顔がきれいなだけになんだかこう、衝撃的だった。これで身体はたるんでたら面白かったとか思えたのに、残念ながら非常にひきしまった身体をしていた。
 お金もあって、顔もよくて、身体もきれい。仕事もまあできそうだし、天は二物を与えずというのはどこのことばなんだろうと思ってしまう。

 すこし湿った身体のまま玄関前に立っていると、しばらくして内側からドアが開けられた。白いシャツの腕が見える。
「すまなかった」
 そう言う伊堂寺さんの顔は、やっぱり無愛想で、味気なかった。

「すみません。インターフォン鳴らすの忘れてました」
 促されるままに中に入り、靴を脱ぐ。パンプスも水を吸っていた。替えの靴もシューキーパーも持ってきてないから、新聞紙か何かつめておかねばならない。
「いや、俺もうっかりしていた」
 濡れた裾のまま、きれいなフローリングを歩くのは気持ち悪い。裾をふたつ折って、つま先立ちで部屋へと急ぐ。
「着替えてきます」そう断って部屋へと引っ込む。

 夕食はいらない、と言っていたから遅くなるのだと思って油断していた。よく知った相手との共同生活ではないのだから、もうすこし身を引き締めねば、と着替えながら自分に喝をいれる。
 部屋を出ると、コーヒーのいい香りが漂っていた。この部屋にはコーヒーメーカーなんてなかったはずだ。
「インスタントだが、飲むか?」
 キッチンに入ると伊堂寺さんが立っていた。生活感のないキッチンに立っている姿は、インテリア雑誌の一頁みたいだった。

「あ、はい。ありがとうございます」
 インスタントとはいえ、なんだかすごい進歩を感じてしまう。冷蔵庫にはミネラルウォーターしか入ってなかったのに。
「砂糖とミルクは」
「両方入れます」
 しかもそこまで。
 
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