過ちの契る向こうに咲く花は
 エレベーターまでは無言だった。
「あの……すみませんでした」
 でもさすがに黙っているのもつらくなってしまう。何か言わねば、そう思って出てきたのは謝罪のことばだった。
「なぜ謝る」
「いや、なんか嫌な思いをさせたのではないかなと」
 確かに私が謝る問題じゃないかもしれない。だけどそれ以外のことばが見つからなかった。
 だから案の定、伊堂寺さんにはむすっとした顔で一蹴されてしまう。

「お前は気にしなくていい」
 到着の音が鳴り響く一歩手前、伊堂寺さんがそう言った。
 お前は、とはどういうことだろう。そう言うということは、伊堂寺さんは気にする点があるということなのだろうか。
「あの、伊堂寺さんはあのひとたちを知ってるんですか」
 エレベーターを降りてゆく背中に問いかける。
 伊堂寺さんが知っていたとして、どうして私の家に用があるのかわからないけれど。それにもし知っていたとしても、なぜ声をかけずに去ることにしたのか。
 疑問が解消される気配はなかった。伊堂寺さんは無言のまま玄関の中へと入る。

「伊堂寺さん」
 もちろん私も後を追う。
「お前には関係ない」
 だけど返ってきたのはにべもないことば。

 機嫌が良くないことぐらい、なんとなくわかっていた。無愛想なのはデフォルトだとしても、合間合間に見える態度がそう言っているように見えた。歓迎会のときからそう。もっともタクシーに乗ってからはそれが顕著に見えたけれど。
 とはいえ、切って捨てられるような返事に、それ以上食いついても何も得られそうにはなかった。疑問や気持ち悪さはあっても、これ以上負の感情を背負い込んでもいやだ。
「そうですか」
 リビングから寝室へと向かう伊堂寺さんを眺めつつ、諦めの気持ちを口にする。私も静かに、自分の寝室へと入る。

 解決しない、謎の男。
 かといって今からひとり自分の家に行き確かめる勇気もなければ、どういう繋がりかと調べる手立てもなかった。
 唯一わかりそうなのは、伊堂寺さんはもしかして知っているんじゃないか、ということだけ。

 そもそも、この婚約ごっこ自体、流されてやっているようなものだ。伊堂寺さんの本当の目的も、ご両親の気持ちも、その背景にありそうなあれやこれやも私は何も知らない。
 第一、伊堂寺さんのご両親にすら会っていない。企業を経営している一族ならば、婚約なんてそれこそ家同士の結びつきを生みだすものだと思うのだけれど。

 私は、ほんとうに婚約者という立場なのだろうか。
 それとも、建前上私にそう言っているだけで、伊堂寺さんには別の目的があるのだろうか。
 
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