過ちの契る向こうに咲く花は
 やがてタクシーは私のアパートへと着いた。まだ一週間も離れていないのに、懐かしく感じる古いアパート。
 とりあえず降りて必要そうな荷物を取ってこようか。
 そう思ったところで、アパートの前に見慣れない車が止まっているのが見えた。見慣れない、といっても元々駐車場のないアパートだから、車なんてあまりいないのだけれど。
 それでもここに止まるにはすこし不自然に思えるような、黒のセダン。誰か乗ったままなのか、ハザードがたかれている。

 でもまあそんなこともあるだろうと、私は運転手さんにドアを開けてもらい降りることにした。すこし待っててください。何も言わない伊堂寺さんに変わってお願いしてから身体を反転させる。
 そこから見えたアパートの二階。私の部屋の扉。誰か立っている。
 見間違いかと思って何度か瞬きして確かめる。だけどコートを着た男性らしき姿は消えることなく、住人のいない部屋のプレートをじっと見ているようだった。

 いくらなんでも気持ち悪かった。
 私には、部屋を訪れてくるような親族もいなければ友人もいない。ましてや金曜のこんな時間に。となると勧誘とかでもないだろう。アパートの大家さんでもないし警察のひとにも見えない。

「乗れ」
 タクシーの側で固まってしまった私の手を、伊堂寺さんが引っ張ってくれる。
 私はそれになすがまま、再びシートへと腰を下ろした。

 いったい、誰なのだろう。なんなのだろう。
 伊堂寺さんのマンションへと向かうタクシーの中で、私はただ身体を強張らせることしかできない。
 怖い、というよりも気持ちが悪かった。今までこんな目に遭ったこともないし、想像もしたことがない。
 あの黒のセダンとコートの男性は関係があるのだろうか。わからない。
 でももし例えば私がひとりで家へと帰っていたら、あの男性と顔を合わせることになったのだ。

 そう思った途端、身体が震えた。悪いひとかどうかなんてわからない。だけどどうしても頭はそっちへと傾いてしまう。
「……く、面倒だ」
 隣のシートからそう微かな声が聞こえた。面倒。前半は聞こえなかったものの確かにそう言った。
 なにがでしょう。そう聞く勇気はなかった。ただ私は自分のことかもしれないと思って、よけいに身体を縮めるしかできなかった。

 その後は沈黙が続いたまま。タクシーのメーターはゆっくりと上がり続け、伊堂寺さんのマンションへと着いた。
 変な客を拾ったと思ったのだろう。運転手は会計を済ます伊堂寺さんの顔と、先に降りた私の姿を何度か交互に眺めていた。
 
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