過ちの契る向こうに咲く花は
 そこに突然、扉が勢いよく開く音がした。笑い声がぴたりと止まる。続いてカツカツとした足音。
 その足音は、私の扉の前で止まった。ように思えた。
「野崎さん、いる?」
 聞き覚えのある声に、出かけた涙が引っ込む。
 野崎すみれさんだ。

「いるんでしょ? 伊堂寺さんが探してるんだけど」
 どうしたら良いかなど考える以前に頭の中が混乱した。さらに伊堂寺さんの名を出されてパニックになりそうだ。
 だって、今の今まで女子社員が盛り上がってた話題のメンバーが勢ぞろいしている。ふたりは一体どんな心境だろうか。
 かといってここまで言われて出ないのも気まずい。よく知らないけれど、野崎すみれさんなら私が出るまでそこにいるような気がする。

 深呼吸、ひとつ。腹をくくるしかない。
 どうせ、同じ会社に勤めてるといえど、毎日顔を合わすような関係ではないのだから。
 ゆっくり立ち上がり、ドアの鍵を開ける。

 野崎すみれさんは、堂々と、強い瞳をこちらに向けて立っていた。
 その向こうに女子社員ふたりの姿が見える。気まずいんだけど、動くに動けなくなってしまったような雰囲気だった。

「頼みたい仕事があるらしいわよ。さっさと行ったら」
 無駄な気遣いもことばも何もなかった。必要なことを必要なだけ。
 だけどそのストレートさが、今は助かったと思わざるを得ない。
「ごめんなさい……ありがとうございます」
 大きな声にはならなかったけれど、そう伝えると彼女は道を開けてくれた。その先にいたふたりは、私の顔を見てことさら気まずくなったのか、目線を各々そらしてゆく。

 確かに、ふたりの身だしなみはきちんとしていた。髪も、化粧も、指先も。仕事にはちょっと派手かもしれないけれど、女の子だった。

 そんな彼女たちを横切って、廊下へと出てゆく。
 その間際、野崎すみれさんの声で「事務ってそんなに暇なの?」というフレーズが聞こえてきた。嫌味ではなく、ストレート。イメージ通りの彼女かもしれない。
 野崎すみれさんはもちろん、今日もきれいだった。

 私は、ああいう枠組みから外れてしまったのだなぁと、今更ながらに実感する。
 望んでそうしたはずだったのに、どうしてここまでショックだったのだろう。
 目立たず地味に。だから髪を黒に染め、眼鏡をかけ、化粧も最低限にしてきた。服も持つものも、行動も。流行ではなくスタンダードを。その結果がこれで、満足なはずじゃなかったのだろうか。

「下手にプライドがあるから、否定するんだ」
 伊堂寺さんのことばが頭に浮かぶ。

「プライド、か」
 ひとりごちて部署に戻る手前、大きな姿が私の視界に入ってきた。
 こちらに気づいて、なにやら不穏な視線を送ってくる。
 伊堂寺さんだった。
 
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