過ちの契る向こうに咲く花は
 それにしても、どうしてそんなことが話題になっているのだろう。間違いではないはずだから、どこかしらから情報が漏れたのかもしれないけれど。
「マジで? っていうか婚約してたの?」
「噂だけどねー。なんか野崎さんって地方だけど結構いいとこのお嬢さんらしいよ」
 自分のことではなかったけれど、これはこれで外に出ていけない。できれば聞きたくないけれど、耳が拒絶することはなさそうだった。

「でさ、破棄の理由がさ、どうももうひとりの野崎さんが奪ったらしいんだよね」
「はあ? もうひとりのって、あの開発企画部の?」
 女性社員の裏返った声と一緒に、私も思わず変な声がでそうだった。
 それを必死に抑えて、息を吸う。
「そうそう。よく知らないけど。でもそうらしいって」
 奪ってない。結果私がその婚約者という役目を負うことにはなったけれど、それは不可抗力だし私の意思ではない。
 そうさせたのは伊堂寺さんだ。

「え、ちょっと待って、そっちの野崎さんって鳴海さんと噂になってなかった?」
 はい!? と今度こそほんとうに声が出る間際で慌てて口を押さえる。
 いったい何がどうしてそんな噂が生まれるんだ。
「あー、そういえばそうだよね。ってことは二股ってやつ?」
 ひどい。二股も何も、どちらともそういう関係じゃないのに。

 だけど今この扉を開けてそれを訂正する勇気はない。そんなことをしては、ことを広げるだけになってしまう。
 それだったら、ひとの噂も七十五日。それを信じて消えるのを待ったほうがいい。すぐに飽きて新しい話題が生まれるだろう、たぶん。

 きっと、野崎すみれさんなら何食わぬ顔で颯爽と出ていくんだろうな、となんとなく思う。

「でもさ、もしほんとうなら、なんかあれだよね。意外っていうか」
「意外もなにも、そんな感じに見えないのに」
「ああいうひとのほうが、実際はえぐいんじゃない?」
「世の中不公平だよね。頑張ってる私らじゃなくて、女としての努力を放棄してるような奴にいい男がつくって」

 いい加減、無駄話をやめて去ってくれないだろうか。私もはやく席に戻りたいのに、仕事中なのだから。
 そう思った矢先のことば。

 そうか、そう思われてるんだ。
 自分がやってきたことは、逆効果だったんだろうか。
 努力を認めてもらいたくて、こう生きてきた。だけどそれは同時に、別の努力を放棄しているように見えていたのだ。

 一番効いた。さすがに涙がにじんでくる。
「努力って、むくわれないねー」
 明るい笑い声に、さもしさが募る。
 
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