過ちの契る向こうに咲く花は
 そう気づいたら、このひとにとって私は一体なんなのだろうか、と疑問が生まれる。
 いくら形だけとはいえ婚約者だからといって、世話を焼く必要があるのだろうか。そもそも最初は随分ドライだったじゃないか。

「伊堂寺さんには、関係ないです」
 何を言うか考えるより、先に口が動いてしまった。しかもけっこうはっきりと。
 同時に伊堂寺さんの眉間がぐっと寄る。
「俺が巻き込んだことでなにかあったのなら、関係なくはないと思うんだが」
「だから今回のことは、伊堂寺さんには関係のないことなんです、とお伝えしてるんです」
「ということはなにかあったのは事実なのだな」

 なんだか段々、いらついてきてしまった。
 八つ当たりだろうとわかっているからよけいに、気が昂る。
「だとしても伊堂寺さんには関係ありません。第一なんでそんなに私に絡むんですか」
 今は仕事中のはずだ。こんなことを言い合っていてもしかたがない。
 頭ではそうわかっているのに、心がついていけない。
「なぜって、一応婚約者として一緒に暮らしているのだから」
「そうです、一応、ですよね。形だけの契約に近いものです。だったら別にそんなとこまで踏み込まなくてもいいじゃないですか」

 だめだなあと、どこか冷静な自分が遥か後ろから見ていた。
 伊堂寺さんにぶつけていいフラストレーションではなかったはずだ。お手洗いで言われたのは私自身のこと。ほんとうに、彼には何も関係のないこと。
 なのに何かと理由をつけようとして、私は伊堂寺さんに刃向かっている。
 地味に、目立たず、ひとの輪を乱さぬように生きてきたつもりだったのに。こんなこと、前回みたいに軽い話題にして終わらせてしまえば良かったんだ。

「あのな、お前……」
「伊堂寺さんにとって私は自分の利益になる駒に過ぎないでしょう? だったら、それらしく扱ってくだされば結構です」
 その瞬間、伊堂寺さんの瞳から熱がなくなった、ように思えた。
 見下ろしてるんじゃなく、見下してる。まるで軽蔑してるかのように。元が整っているだけに、それがとてもうつくしく見えてしまう。
 私の体には、力が入った。同時に泣きたくなるような息が漏れる。

「そう思うなら、そう思っておけ」
 声の抑揚も大幅に減っていた。
「駒だと思ってる奴は、一生盤から飛び出せないだろうな」
 耳に届くことばに、痛みも苦しみも感じれなかった。
 
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