過ちの契る向こうに咲く花は
 出張の朝。いつもより早めに起きて準備を整えると部屋着のままの伊堂寺さんが起きてきた。
「ああ……そうか」
 彼にとってはいつもと変わらない起床だろう。挨拶を済ませると「気をつけてな」とだけ返ってきて、洗面所へと消えていった。

 見た目を変えたことは結局どうだったんだろう。と思わなくはない。
 けれど反応があったのは最初だけであとはその前となにも変わらなかった。あの鳴海さんですら「いいじゃん」「似合う似合う」「どう、気持ち変わった?」と言ってきたのは月曜の昼過ぎだけだった。

 拍子抜け。それが一番しっくりくるかもしれない。
 同時に案外難しいことじゃなかったんだな、と苦笑いしそうになる。
 変わるために変えたはずなのに、たいして変わらなかった。
 でも気持ちだけ、すこしは変わったのかもしれない。

「おはようございます」
 駅で水原さんと落ち合う。私の声がほんのり高い。
「おはよう、朝飯食った?」
「軽く食べました」
「そかそか。俺まだだから新幹線の中で食っていい?」
「構いませんよ。買いに行きましょうか」
 なにが良いですか、と聞きながら店のある方角へ歩きだすと後ろから柔らかい笑い声が聞こえた。
「笑顔が増えたなー。いいこっちゃ」
 そう言われて私も笑ってしまった。

 展示会は久しぶりだった。元々出張の多くない仕事。企画が決まって進めば外に出ることなんてなくなってゆく。今はちょうど空いたから次の商品のヒントに、といろんなブースを見て回る。
 食品系のところでは試食があったりして、水原さんとふたりいくつか食べて回った。いちいち「すげーなあ、うまいなあ」という水原さんがおかしくって「素直ですね」とコメントすると「そのほうが人生楽しい」と返された。
 たしかに、そうなのかもしれない。

 お昼も過ぎた頃、あらかた見終わって昼食に行こうかと話していた。その途中、水原さんの携帯に着信があったので、私はすこし離れて遠目に工作機械の動きを眺めていた。
「失礼、野崎葵さんですか」
 幾分気を抜いていたところ、突如名を呼ばれて思わず声のほうへと振り返る。
 そこにいたのは、髭をたくわえた男性だった。
「突然申し訳ない。野崎さんで間違いないでしょうか」
 背も高い。歳は私の世代の父親よりちょっと上ぐらい。それ相応の貫録と色気を、身体にぴったりあっている上質そうなスーツがよけいに際立たせていた。
 
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