桃の花を溺れるほどに愛してる
 僕が扉を開けた音が聴こえたのか、榊くんの手がピクリと動く。

 刹那、桃花さんはげほっげほっと咳き込み、必死に酸素を求めるために口をぱくぱくと動かした。

 どこか虚ろな目をした桃花さんと、目が合う。

 この状況は……なんだ?

 椅子に座らされ、手足を拘束されている桃花さんと、そんな桃花さんの首を絞めていた榊くん。

 榊くんは桃花さんを好いていたわけではないのか?

 好いていたというのなら、どうしてこんな……こんなことを……?

 目の前の状況が信じられず、思わず思考が停止する。


「はる、と……」



 小さく、掠れた声で僕の名前を呼ぶ桃花さんをキッカケに、ハッと我に返る。

 いけない。今は桃花さんを助け出すことだけを考えなくては。

 桃花さんに大きな傷がないかと再び目をやると、頬が赤く、腫れ上がっていることに気が付く。

 榊くんは無抵抗の桃花さんに首を絞めるだけではなく、一方的に手をあげていたということなのか……?

 そんな考えが思考を掠めた瞬間、自分でも驚くほどに頭の中が冷めていく。――怒りのあまりに。

 僕を取り巻く何かが、がらりと音をたてて崩れていくような気がした。


「今すぐ、彼女から離れろ」


 思わずそう口走っていた。

 誰かと話す際、敬語ではなく、砕けた口調なのは久々な気がする。

 でも、敬語だとか、砕けた口調だとか、そんなことはこの際どうでもいい。

 榊くんが桃花さんを傷付けた。――この事実が、僕の中に眠る何かを目覚めさせたことに、違いはないのだから。
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