笑わぬ黒猫と笑うおやじ
「おー店長ー遅かったっすねー」
一人考え事をしていると、不意に背後から誰かが声を掛けてきた。
良く言えば、親しみやすい、悪く言えば軽い感じの話し方だ。
私と塩谷さんは、反射的にそちらに視線をやると、短髪がよく似合う男性がたっていた。
短い髪は栗のような色。耳にはシンプルなピアスが左右に三つずつ。
このバーの制服であろう、バーテン服をさらりと着こなしている。
なんというか、かっこいいが、口調同様ちゃらい感じの人なのかな、と私は思った。
「店長じゃなくてマスターっていえ、マスターって」
「えー。塩谷さんマスターつうか、店長って感じだもん」
「だもんじゃありません。給料減らすぞ、こら」
「きゃー、職権乱用!」
けたけたと笑いながら会話のキャッチボールを交わす二人に、私はとてもじゃないがついていけなかった。
冗談じゃない!私はただでさ人見知りなのに、こんな軽快なトークなんて出来やしない!
「あ、あの……」
なんだか具合が悪くなってきて、青い顔で塩谷さんに声をかけると、当然だが、二人の視線がこちらに向いた。
ただそれだけの事なのに、うっ、と言葉に詰まってしまう。
しかし、ここでだんまりをしてしまったら、ただたんに会話を遮った空気の読めない奴になってしまう。
それは嫌だ、と私は恐る恐る、口を開いた。
「あの……帰っても、良いでしょうか?」
「えっどうしたの、具合でも悪い?」
青い顔で言う私に、塩谷さんは眉を八の字にし、心配げに顔をのぞき込んできた。
やめてくれ、私の顔を、見ないでくれ…!
あまり人と目を合わせないように、と少しだけ長めの前髪のおかげで、泳いでいる目は見えないだろう。
これは、唯一の私の逃げ道のようなものだ。
前髪が長ければ、人と目を合わせなくて済むし、笑った顔で気持ち悪がられないから。