カリス姫の夏
小高い丘の裾野にあるじゃり道を歩き、たどり着いた場所には、木の杭を打ち込んだだけの門がある。杭に立て掛けられた巨木を輪切りした板には『種市つりぼり』の文字が刻まれていた。

その横には、なぜだかこれはアルミの板に、細々とした料金やら釣りをする場合のルールやらが、所々はげて消えかかりながら印字されている。


どこからどう見ても、紛れもなく『釣り堀』だ。


これから私が釣った新鮮な魚をごちそうしてあげるよ……なんて華子さんが言うとも思えない。


「わたし、インドア派なんで釣りとかあんまり好きじゃないんですけど……」

なんて抗議を聞き入れるわけもなく、華子さんは肩からかけた茶色いカバンを軽そうに持ち、ずんずん中に入って行った。


営業開始時間は分からないが、お客さんは中年男性を中心に思ったよりたくさん来ている。近所の公園の池より大きな釣り堀を取り囲み、釣り竿を垂らしその先をじっと見ていた。


華子さんはそんな人々には目もくれず、奥の掘立小屋へ向かった。


小屋の前では、たぶんこの釣り堀の店主だろう男性が釣り竿の点検をしていた。私のお父さんよりもずっと年上だろうおじさんは、日焼けした肌を黒光りさせ、夏だというのに作業用ジャンバーを着ている。

おじさんは首からかけたタオルで汗をふくと、目の前に立つ中年看護師に気づいた。


「おっ、吉元さん。
久しぶりだね」

目を見開くと、おじさんの黒い顔に白目だけが浮き上がった。

華子さんはニコッと笑顔を作り
「おはよ、種市さん。
最近どう?血圧は」
と、親しそうに挨拶した。


「はははは……
ちゃんと薬飲んでるから大丈夫だよ。
この前もさ、病院の先生に褒められてね。
高血圧の優等生だって。
病気の優等生だって言われてもさして嬉しくもないよな」


言葉とは裏腹に数センチ鼻を高くし、笑顔を見せる。種市さんは、どこの球団か分からないマークの入った野球帽をかぶり直した。


「ならいいけどね。
油断したらだめだよ。
勝手に飲むの止めたら、承知しないからね」

「相変わらず、おっかないなぁ」


談笑しあう2人が、古くからの知り合いである事は一目で分かる。ひとしきり、近況報告を終えると、おじさんは掘立小屋の奥からキャベツの葉っぱを一枚持ち出し、華子さんに手渡した。「ゆっくりしてってね」と言葉を添えて。


キャベツを手にした華子さんは、お礼も言わない。ただ「帰りに血圧測ってくね」とだけ約束し、踵を返した。

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