モン・トレゾール

―――


「――はい、すみませんが宜しくお願いします」


誰かと話す彼女の声が少し遠い。


額に置かれた冷たいタオルと、テーブルの上に散乱した体温計と市販薬の山。


熱のせいなのか、上半身を起こすと軽く眩暈を感じた。


ソファーで少し横になるつもりが、どうやらそのまま寝ちまったみたいだな。


フーと深く息を吐くと、リビングの向こうから彼女の足音が近づいてくる。


「……どうしよう、お医者さん呼ばないとダメよね?」


スマホを握りしめたまま慌てふためくその後姿が面白くて、ついまたからかいたくなってくる。


「医者なんて要らない」


俺の声にビクッと肩を揺らす彼女の腕を掴むと、そのまま自分の膝の上へと引き寄せた。


「え、ちょっと、お、さむ!? 起きて大丈夫なの?」


床に落ちたタオルの代わりに、額に触れる彼女の背中が柔らかい。


花の蜜のように甘い香りと、すっぽりとこの胸に収まる華奢な躰。


……このままでいい。


このまま何も思い出さずに、ずっと俺の腕の中で俺のことだけを考えていればいい。


彼女を腕に抱いたまま目を閉じると、そんな勝手なことばかりが頭に浮かんでくる。


< 141 / 147 >

この作品をシェア

pagetop