モン・トレゾール

「私、戸田さんとは付き合って――」

「梨花」


わざと被せるように口を開いた戸田さんを全力で殴りたくなった。


「甘く見てるみたいだけど、後悔してもしらねぇからな」


最初から結果が決まっている勝負を挑むかのように、戸田さんから放たれるオーラは余裕で溢れている。


「ちょっと! これ以上怒らせてどうするのよ!」


梨花さんには聞こえないようにそう耳打ちすると、私は戸田さんの背中をパシっと叩いた。


「弾けるだろ、そのくらい」


……なにが弾けるだろよ! 全く、この余裕はどこから生まれてくるのよ。


コソコソと話す私とは対照的に、戸田さんの表情は堂々としたものだった。




「あー、いたいた! 高宮さん、探しましたよ」


すると、どこからともなく突然そんな声が聞こえた。


「もう入っていいですよ」


どうやら、若いバーテンが梨花さんを探し呼びにきたようだった。


これで確実に解放される!


そう思った私は、持っていた楽譜をテーブルに置きこっそりと帰り支度を始めた。


「――今日、私体調が悪いみたいなの」


「え? ……それは、困りましたねぇ」


あれだけ吠えてたら、誰だって具合が悪くなるわよ。


心の中でそう呟くと、鞄の中からスマホを取り出した。


着信――0件


……よかった、家に帰ってないことまだバレてないみたい。


心の底からそう安堵すると、急いでまたそれを鞄の中に戻した。


この後自分の身に降り掛かることが、止まっていた時計の針を再び動かすきっかけになるとは思いもせずに。
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