モン・トレゾール

*

この前店に来た時からまさかとは思ってたけど。


もう新しい女をつかまえるなんて。


――…遼のバカ


今日は朝から調子も良かったのに、どうしてまたこの店に来るのよ。


自分をフッた腹いせに私に見せようって魂胆なの?


……そんなの、私のプライドが許さない。




「高宮さん、次お願いしますね」


アッシュ系の髪の小柄なこの男は、バーテンと言う名の案内係。


その声に目もくれず、私の視線の先はあのテーブル席だけだった。


最近入ったばかりの新人みたいだけど、自分がやりたい仕事とは無関係の雑用ばかりしてるこの男も私から見たら負け犬だわ。




「ふぅー」


――今日こそは、きっと大丈夫


あの人のピアノに近づけるように、あれだけ練習してきたんだもの。


完全に音は拾えなくても、感覚で弾いてみせる。


ショパンの夜想曲(ノクターン)第2番――


私なりにアレンジを加えてきたけど、リクエストしてくれたあの老夫婦が喜んでくれるかは分からない。


だけど、必ず心に残る演奏をしてみせるわ。
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