夏音の風
この人、挨拶もしなかったくせにさっきと態度が随分違う。それに、いきなりわけのわからないこと言ってくるし。
少し冷静になると、夏音は自分の足が震えていることに気づいた。このバスには自分とこの男しかいない。さらに、さっきまでは快晴だった空も今はその跡形もなく辺りはすっかり真っ暗だったからだ。
「……わ、私をどうするって言うの?」
声を震わせながらも、夏音は頭の中でまずはどうにかしてこのバスを降りようと考えた。
「姫様、どうか落ち着いて下さい」
相手が自分の方に一歩ずつ近づいてくると、恐怖で完全に足がすくんでしまう。
「こっ、こないで」
「違うんです、姫様。私は蒼(そう)様のご命令で」
どうにか自分の話を訊いて貰おうと運転手は夏音へとにじり寄る。
「やっ!」
その体を正面から両手で突き飛ばすと、夏音は出口に向かって必死で走り出した。