溺愛御曹司に囚われて
「ですから皆さんも、今日は大切な人と、私の演奏をスパイスにしてお食事を楽しんでくださいね」
秋音さんがにこりと笑ってマイクを置く。
再び拍手が起こって、会場内の誰もが彼女の演奏を待ちわびているのがわかる。
秋音さんがヴァイオリンを持つ。背筋を伸ばしてスッと立つと、会場にいるすべてのひとがすっと息を飲む。
彼女が弓を引いて最初の音を響かせると、途端に会場の空気はすべて彼女に支配された。
この演奏をスパイスに食事を楽しむなんて、きっと不可能だ。
ここにいる誰もが、小さなステージでヴァイオリンを弾く秋音さんに魔法をかけられたみたいに動きを止めている。
曲目は、パガニーニの『24の奇想曲』。
ヴァイオリン独奏曲で、強烈な超絶技巧が組み込まれた難曲。
パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだと言われ、演奏を聴きながら十字架をきる聴衆までいたらしい。
鋭くて、それでいてやわらかい、秋音さんの不思議なヴァイオリンの音。
音楽のわからない私にも、ひとつひとつの音が身体を震わせるように響いてくる。
なんて魅力的な人なんだろう。
秋音さんと話をしたことはないけれど、これだけの音と空気をつくれる人物が、素敵な人でないはずはないと思った。
一曲目の演奏を終えると、秋音さんがもう一度マイクを手にする。
「さあ皆さん、どうぞ楽になさって。ここからはどうぞご自由に。私、今夜は皆さんに恩返しができるような、本当に楽しい場をつくりたいのよ」
秋音さんがそう言うと、最初は戸惑っていた人たちも少しずつ料理に手を付けたり、小声で会話をしたりする。
それを見届けて満足した彼女は、続けて次の演奏を始めたけれど、人々は食事や会話を楽しみ、時折演奏に耳を傾けて自由に過ごした。
私も音楽に引き込まれ本来の目的をすっかり忘れておいしい料理を食べ、今度高瀬とふたりでこの味を再現できないかなあなんて間抜けなことを考える。
せっかくだし、おいしいお料理をたくさん食べて帰らなくちゃね。