溺愛御曹司に囚われて
昨夜の先生の話を思い出す。
人魚姫は、この海の底から、ちゃんと王子様に向かって手を伸ばしてみせた――。
『欲しいものは欲しいって、ちゃんと手を伸ばさなきゃ』
波の音に混じって聞こえる微かな声。私の黒い髪が、風に舞い上がった。
「あいつはさ、俺なんかよりずっと前から小夜だけを見てたよ」
隣に立つ背の高い先生を見上げると、彼の切れ長の瞳はまっすぐに海を見つめたままだった。
「小夜の番犬よろしく、近づく男を片っ端から威嚇してた。俺もよく睨まれた、刺されるかと思ったくらいだ」
なんとなく頬が熱くなる。
高校の制服を着た、ちょっとすました顔のまだ幼い高瀬。
勉強もスポーツもできて、まわりの男子より大人っぽいなんて、結構女の子に人気だったっけ。
その高瀬が、年相応の顔で、からかう先生を睨みつける姿が懐かしい。
「あの日、あいつが言ったんだ。『小夜のことは俺が預かる、大事にして誰にも渡さないから安心してよこせ』ってな」
その頃の高瀬を思い出したのか、先生は喉の奥で小さく笑う。
「最初から、お前を守っていく覚悟ならあった。だけどそれが小夜にとって最良の選択なのかわからなかった。お前、まだ高校生だったんだぞ。学校を辞めるのも、教師を辞めた俺を背負うのも、小夜の可能性を奪うことのような気がした」
目を細めた先生が、ゆっくりと私と向かい合った。
「そんなときあいつが現れて、小夜を預かると約束したんだ。俺はどうしてか、あいつなら俺以上に小夜を大事にできるのかもしれないと思った。あいつにならお前を託してもいいってな。だからあの日、高瀬がお前を迎えに行くのを黙って見送った」