エンジェル
 二十九歳になったユミリは看護師として都内の病院に勤務していた。といっても救急外来(ER)勤務であるため昼夜問わず働いている。職種間違ったかな、という思いが度々、彼女の中で涌き起こる感情だが、それでも患者が無事復帰し、笑顔で退院していく姿に喜びと達成感を感じる。
「先輩!音楽って何聞きます?」
 今年、新卒で入社したばかりの新人看護師が訊いた。ユミリが答える前に、新人は自分の好きなアーティストを答えた。
「『syota』ていうシンガーソングライターがいるんですけど、孤高でカッコいいんですよ。乾いた声、纏う空気、音のコントラストは絶品です」
 知ってるよそんなこと、という思いをユミリは胸にしまう。だって翔太は初恋の人であり、いつも一人で、人を寄せつけないで、人を頼ろうとしない。だからアーティストという職業を選んだのかもしれない。雑誌などで彼の写真を見る度に、いつも思う。寂しげな表情、器用のようでいて不器用な眼差し。誰よりも翔太の事を理解してくれた父親が一年前に他界したというのを、ニュースで知った。
「『エンジェル』ていう曲がいいよね
 ユミリは新人にいった。新人は目をぱちくりさせ、「先輩、知ってたんですね。この曲って、絶対に誰かに向けた曲ですよ」と一人で納得していた。

 深夜の病棟は静寂に包まれている。
 が、一瞬で風は変わる。緊急コールが待機している空間に鳴り響く、「成人男性・・・・・・・」名前を訊いたユミリは動揺を隠せなかった。
 担架に乗せられていたのは、翔太だった。長めの髪、青白い顔、引き締まった身体、繊細な手。その繊細な手は鮮血で染められていた。
 どうやら彼は自殺を図ったらしい。命に別状はない。しかし、こんな形で再開を果たしたことにユミリは不安と動揺を隠せない。

 病棟は色めきたった雰囲気があった。なにせシンガーソングライターの『syota』が入院しているのだ。すぐにでも退院はできるのだが、安静をとって三日ほど入院することになっている。で、『 syota』を担当するのがユミリの役目になった。
「気分はどうですか?」
 ユミリは翔太に訊いた。しかし、彼からの反応はない。視線も合わさない。虚脱状態、と言った感じだった。ステージ上での雰囲気とは別だった。自殺を図った原因を一層の事、聞いてしまおう、なんていう思いにユミリは駆られた。住む世界が違う人間は、住む世界が違う思考と悩みと葛藤を抱えているのかもしれない。それでも、翔太が目の前にいるということだけで、嬉しかった。彼は、私の事なんて覚えていないだろう。ミュージシャンはモテる。それは偏見とイメージかもしれない。でも、翔太のように孤高でトップまで昇りつめた人間を他の女性がほっとくわけがない。それでも、会えた喜びと、深く葛藤しているだろう心を思うとユミリの目に涙が浮かんできた。
「君は、なぜ泣いている?」
 突然、翔太が口を開いた。
 ユミリは一瞬、言葉に詰まる。だが、「また、一人で行動してる、と思って!」と目元の涙を手の甲で拭った。
「えっ」と今度は翔太が言葉に詰まり、驚く。二人の視線交錯する。時間にして、数秒だった。しかし、それは何時間、何日、何年と長い時間に感じられた。互いと互いの時間を埋めるように。
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