バターリッチ・フィアンセ
『何とか言えよ……っ』
きつい口調で言ってみても、俺の声は静かな部屋に吸い込まれて消えていくだけ。
ずっと握りしめているのに一向に温度の上がらない母の手を自分の目頭に押し付け、俺はその後も散々母に語りかけては、返事が戻ってこないことを嘆き、肩を震わせていた。
涙が枯れ、抜け殻のように空っぽになった俺が部屋を出ると、隣にもう一部屋だけある霊安室からも人が出てきたところだった。
廊下を先に歩くのは、静かに鼻を啜る若い女が三人……
その後ろで、未だ名残惜しそうに部屋の扉を見つめていたのは……ICUの前にいた、あの男だった。
ここにいるということは……アイツの妻も、助からなかったということか。
でも、あの時の医者の言い分から察するに、それはきっと前々から予測していた事態なんだろう。
でも、こっちは違う。まるで交通事故のように、突然に見舞われた不幸。
そしてもう少し処置が早かったのなら、助かったかもしれない命――――
――やっぱり、母さんの死はコイツのせい――?
忘れていたはずの憎しみが、その時になって蘇った。
俺は女たちが廊下の角を曲がり姿を消すのと同時に、そいつの元へと近づいた。
顔を上げた男は不思議そうに俺の顔を見上げる。こっちは覚えていても、向こうは俺の顔に見覚えはないようだった。
直接的にではないにしろ、俺の母への処置を“後回しにしろ”と言ったくせに、その息子の顔もわかんねーんだな。
嘲笑にも似た気持ちと、それから燃え上がる憎しみに突き動かされ、俺の口は勝手に動いていた。
『……あなたのせいで俺の母親は死にました。たった一人の家族を、あなたは俺から奪ったんだ。
――俺も同じことをしていいですか? ……あなたの一番大事なものを、俺にも奪わせてくれ――――』