バターリッチ・フィアンセ

「……お嬢様がお嫁に行ってしまったら、寂しくなりますね」


マウスから手を離し、椅子の背もたれに寄りかかってそう言った真澄くん。

……そうよね。真澄くんには高校生の頃から側に居てもらっていたんだもの。


お父様の経営する大手外食チェーンの幹部だったらしい真澄くんの父親は若くしてご病気で亡くなり、その原因は私のお母様が亡くなったのと同じ心臓の疾患だった。

そして彼の母親もまた病弱で、家事をするのがやっとであることから、父は真澄くんに同情し、うちで働いてもらうことを提案したのだ。


真澄くんは高校には通わなかったけれど、私の家庭教師が来る日に一緒に勉強をしていたし、自由な時間があればいつでも本を読んでいたから、きちんと常識はある。


むしろ、大学を卒業してからも

“どうせお嫁に行くまでの仕事だから就職する必要はない”

と、父に言われるがまま、この春から習い事がある日以外家でのんびりとばかりしている私より、真澄くんの方がよっぽど世間を知っているかもしれない。


「私も寂しい。真澄くんに朝起こしてもらったり、一緒にお茶を飲んだり買い物に付き合ったりしてもらうこともできなくなっちゃうんだものね……」

「ええ。でも、いつでも帰ってきてください。
ご主人様は織絵お嬢様がこの家から出て行ってしまった後も、僕にこの家で働いていて欲しいと言ってくださいましたので」

「ありがとう、それなら心強いわ。
……でも、いつでも帰ってきて、なんて、ちょっと縁起が悪いじゃない。まるで私がすぐ出戻るみたいで」


口を尖らせて彼を睨むと、彼は少し垂れ気味で黒目がちの優しい瞳を見開いて慌てた。


「そういう意味ではありません! 僕はお嬢様の幸せをいつでも願ってます」

「うん、わかってる。冗談よ、ありがとう」


よかった……と言って、ナチュラルなストレートの黒髪に手を差し込み頭を掻いた真澄くん。

私はクスッと笑って、少しずれていた彼の執事服のネクタイを直してあげた。


優しい彼を心配させないためにも、あまり頻繁に実家に帰ることは避けたいものだと、自分の気持ちを引き締めるように。


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