その輝きに口づけを

1 女に必要なもの

「出せ」
 きついからという理由で白衣を胸の半ばまで開けたド迫力の美女が、笑顔でわたしに迫った。
 「これ以上は無理です」
 垂れた冷汗は夏の名残りか。10月も半ばをとうに過ぎた季節、わたしは職場の片隅で、つっと流れる汗も拭えずに固まっていた。
 「あのねえ、青ちゃん。出すべきものを出さないっているのはある意味、社会に対する冒涜だよ?犯罪なの。犯罪!」
 「これ以上出す方が犯罪ですよ!」
 思わずわめいたわたしに、美女――こと山川美貴は楽しそうに手をたたく。
 「ハート泥棒的な意味ね!なかなか言うやない」
 「わいせつ物陳列罪的な意味ですよ!」
転職を果たした先はなかなか有名な整体院だったはずだ。名が知れているだけあり、院長も先輩方も腕のいい、学ぶことの多い人たちばかりだと研修中には身が引き締まる思いがしたものだった。
それがなぜ、こんなことになっているのか。
美貴の手がわたしの胸のチャックに伸びる。
「いいから胸を出しなさい!」
「だから、これ以上は無理ですってば!」
わたしの悲痛な叫びは、美貴に賛同する先輩方によって、笑顔で聞き流されたのだった。

「おかしいやろ!」
わたしは目の前で固まる青年の皿に、鍋の具を積み上げながら呻いた。
「白衣だけやないのよ。私服にもチェックが入るのよ!あと2つボタン開けろ、タイトな服にしろ、なにはともあれ胸を強調しろってみんな口をそろえて!あげくにお下がりで服を持ってくる始末で」
言いながら、自分の皿に積み上げたキャベツを頬張る。やはりもつ鍋は味噌ベースにキャベツが鉄板だ。この組み合わせを発見した人は歴史に名を刻まれるべきだと思う。
そんなわたしの意見に「そうですね」と気のない返事をして、青年――筧水流(かけいみつる)はためらいがちに口を開いた。
「……青さんの勤めてるところってコスプレパブか何かでしたっけ」
ためらう素振りを見せる割に、言葉の内容はどストレートだ。下手な冗談だと笑い飛ばそうとして――彼の明るい鳶色の瞳がどこまでも本気であることに気づき、わたしは軽く落ち込んだ。
「いや、ごく普通の整体院だよ。みんな腕はいいし。それなのにいったいどこを目指しているんだか。今日だって白衣の前のチャックを無理やり下ろされそうになって――ああ、相手は女性だから、落ち着いて」
ぎくり、と身をこわばらせた筧の心情を察し、わたしは苦笑した。
このいかにもそつのなさそうな爽やか青年は、学生時代のバイトの後輩だ。当時からすらりとした高身長と愛嬌のある笑顔で何かと目立っていたが、年が3つも下であることに加え、あまりにももてそうだったために早々に恋愛対象から外し、卒業までの一年は互いに気を使わない、気楽な先輩後輩の関係だった。――7年後に再会した際、互いが互いのことをすぐに思い出せたのは、ほとんど奇跡だと思う。
「そんなこといわれてもさあ、青さん」
どこか憮然とした調子で、筧が口を開いた。笑顔が顔のデフォルトである彼は、こんな表情の時でもどこか甘い笑顔の気配が漂う。
「おれ男だから、わりとためらいなく青さんのボスに一票入れるけど」
そう言って、尖らせた口をにやりと引きあげた。やらしい顔に見えなくもないのだが、どちらかというといたずらを仕掛けた小学生の顔だ。
「青さんいつも色気が色気が、って言ってるだろ。出るかもよ?色気」
「じゃあなにか?君はわたしにこういう服を着て天下の公道を歩けというの」
言いながらカーディガンを脱ぎ捨てた瞬間、筧がごんっとひたいをテーブルに打ち付けた。カーディガンで隠していたのは、お下がりでもらったワンピースだ。肩や胸元ががっつり開いている上に、身体の線がはっきり分かるタイトなもの。ほら見たことか。Fカップアンダー65の破壊力を思い知るがいい。
ハンサムで今風な後輩の、思いがけない反応に悦に入っていたわたしだが、一向に顔をあげない彼の様子に、徐々に不安になってきた。
「……ちょっと、大丈夫?頭強く打ち過ぎた?」
「全然問題ないっすよ」
ひたいをテーブルに預けたまま、筧がため息をついた。
「おれ、青さんの先輩の気持ちがちょっと分かった。なんというか……その体型はめちゃくちゃ宝の持ち腐れかも」
「悪い気はしないけどさ。けど、とどのつまり、やっぱりこういう服を着ろっていうこと?」
再び着こんでいたカーディガンを、今度はぴらりと控えめにめくってみせると、目の前の青年は、一瞬ひるみつつも視線をそらさず、そのままじろじろと胸元を見つめてきた。そんな様子にもいやらしさがない、無駄に爽やかな後輩の視線。いたたまれなくなって、そろそろとカーディガンを戻すと、それを観た筧が喉の奥で低く笑う。
「青さんの中身を知っている男としては複雑だけどね。刺激が強すぎるし、変な人が寄ってきても困るだろうし」
しれっと言った筧の言葉に、わたしは黙り込んだ。筧と再会は、わたしが路地裏で痴漢にあった場面でのことだったので、その時のことを思いだしているのだろう。彼が華麗にわたしを助けた――という状況ならドラマチックにもなるのだろうが、実際はわたしが痴漢を放り投げ、固め技で身動きをとれなくしていた場面にひょっこり筧が現れた、というものだった。変な人が寄ってきたら、かわいそうなのは相手の方だとでも思っているに違いない。
「あーあ。髪に、触れさせられたら、スイッチを押せる自信があるんだけど」
「髪?」
「そう。実はわたしの髪って、どこの美容師さんも絶対に染めたりパーマ掛けたりさせてくれないレベルの美髪なのよ、おほほ。……いや、冗談ではなく。いやほんと髪に触れた瞬間、顔色変えて止めるのよ。この手触りは失われちゃいけないって」
「へえ」
ちょっと興味を惹かれたのか、水流が真顔になる。
「髪ってさ、よほど親密な中でなければ触れたりしないでしょ。いつも無防備に人目にさらされている髪の感触が予想外に心地よくて、しかもそれを自分だけが知っているっていうのは、なかなか男心をくすぐると思わない?」
「驚いた。青さん、意外と男心を分かっているんだね。何で今まで彼氏できなかったの」
「失礼な!いたわよ」
「大学生の時、一瞬でしょ。恋人できたら、相談に乗ってあげてもいいよ」
「きこえなーい」
ぷいっとそっぽ向いてグラスを煽る。
「だいたい、わたしは本好きだから、恋愛に関する知識はけっこうあるもの。つきあった人数は関係ない。きっとうまくいくから」
「……青さん、悪いことは言わないから、彼氏ができたら、おれに紹介しなよ。審査してあげるからさ。青さんが変な人につかまらないか心配でたまらない」
「……何で会う人会う人、口をそろえて同じことをいうかなあ」
わたしの言葉に、筧はただ肩をすくめてみせた。

送るという筧の言葉を笑って辞退し、わたしは帰路に就いた。
高校時代から色気がないと言われ続けてきたが、さすがに社会人になってからは必要に迫られ身綺麗にすることも覚えたし、体重もずいぶん落ちた。自分が変わるにつれ、まわりの見る目も扱いも目に見えて変わっていく様をおもしろく思っていたが、肝心の恋人が出来ない。
なぜだ。色気が足りないのかという話をうっかり店でしてしまったために、さっきのような事態に陥ったわけだが、わたしだって何も考えていないわけではない。
長いこと恋人がいないと、コトに及ぶかもしれないという緊張が薄れてしまうため自分磨きがおろそかになりがちらしい。その話を聞いてから、いつでも女性としての緊張感を持ち続けるために、ボディクリームを塗りたくって全身すべすべしっとりを堅持しているし、アンダーヘアの処理もばっちりだ。ヨガと合気道で身体は締まっているほうだし、互いへの整体で身体のラインもなかなかだと思う。さらに、雑誌で紹介されていた身体のにおいと黒ずみをケアするための石鹸で磨き上げてもいる。
だいぶ改善されたものの、脚がまだむくみやすく太くなりやすいことも悩みと言えば悩みだが、そんな身体の一部分で自分に魅力がないかも――なんて落ち込むほどの可愛げは、学生の頃に捨ててきた。
では、いったい何が足りないというのだろう!
「これじゃないすか?」
次の日の出勤時。性懲りもなくそんなことを嘆いていたわたしに、後輩の南がそう声をかけた。真っ白な肌にバサバサの睫毛。本人の気にするぽっちゃり体型を差し引いても魅力ある25歳が、きれいに染めた髪をひと振りしながら淡々とした様子で一枚の紙を差し出す。
「骨盤底筋を鍛えるバンド?」
「そうそう。うちの新商品だそうです」
「……南ちゃん、これ尿漏れとウエストにって書いてあるんだけど」
「そうですね」
「い、いくらなんでもそれを気にする年ではないわ」
「分かってますって」
あくまでマイペースな南に突っ込みを入れることをあきらめて、わたしはおとなしく次の言葉を待った。
「これ、膣トレにもいいらしいっすよ」
「あーなんか一時期はやってたけど、あれって相手を気持ちよくする効果があるってだけで、パートナーをどうやって見つけるかって段階では関係なくない?」
「でも、何か女性ホルモンやスタイルアップにも効果的って美貴さん言ってましたよ」
「え、そうなんですか?美貴さん」
わたしはシャッとカーテンを開け、施術用ベットで昼寝していた美貴をたたき起こした。ちなみに現在時刻は朝の10時だ。また朝まで飲んでたな。
いきなりカーテンを開けられた美貴さんは、「のうわっ」とマンガのような声をあげながら飛び上がった。それでもしっかり話に聞き耳は立てていたようで、すぐに答えてくれる。
「そりゃそうでしょ。骨盤底筋の関係する範囲見てみなさいよ。反り腰や出っ尻にならないように骨盤を安定させるのに必須な筋肉だし、その骨盤の位置キープしようとしたら、自然と下っ腹にも効くでしょうが」
寝不足のためか凶悪な気配の漂う美貴の言葉に、わたしたち二人は下っ腹を抑えたまま異口同音に驚愕の声をあげた。
『た……確かに……!』
「こんなん履くより、しっかり男相手に使いなさいよね。その方が簡単でしょ。使ってないと締まりが悪くなるしね」
『ええ――――?!うっそ――――!』
正真正銘心からの悲痛な叫びに、美貴さんのあごが下がる。
「知らなかったの?!」
「だって、バージンの方が締まりがいいって何かに書いてあった」
「……それ、男向けのマンガか何かでしょ。ファンタジーファンタジー。筋肉なんて使わなけりゃ劣化するのよ。どの筋肉も例外なくね。当然でしょうが」
『た……確かに……!』
普段から人の身体に触りまくっているわたし達は、異口同音に納得の唸りをあげた。
「若いんだから、いくらでも使う機会あるでしょ」
『…………』
「え、ないの?なんでないのよ」
「……彼氏いない美貴さんに、どうしてそんなに使う機会があるのかという方が疑問なんですけど」
そんな疑問を、美貴さんは嫣然と微笑んでスル―する。
「だいたい、男なんて、知り合いを通していくらでも出会えるでしょ。飲みに行った時に誰か連れてきてもらえばいいじゃない。というかそもそも、休日は何しているのよ」
「寝てます」
「本読んでます」
「――骨盤底筋鍛える前に、出直してこい」
美貴さんの一言で、わたし達はあえなくこのバンドを手に入れる機会を失ったのだった。


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