彼方の蒼
 うどんをテーブルに運んで、先生の手を取って連れてきて、向かい合って座る。
 箸を渡した。
 僕はもう、テレビCMみたいにめっちゃうまそうに食ってやった。
 ずぞぞぞーっ、とさ。
 つられて先生も食べはじめた。
「……あ」
 思わず、といった感じで漏れた先生の声に、僕は勇気づけられた。
「うまい?」
「ハイ」
 僕は椅子にふんぞりがえった。
「『ハイ』じゃ、ちっともうまそうじゃないよー。なんだよ、作り甲斐がないなあ」
「おいしいです……」

 ちびちびと食べる先生。
 それ、おいしい麺類の食べかたじゃないよ?
 ま、いいか、食ってんだから。

 僕はテレビの上になぜかあったりんごの皮をむき、実を切り分け、ガラスの皿に入れて出した。
 楊枝を2本刺す。
 りんごを食べながら、僕は何気なく言った。
「せんせぇ、ここって家賃いくら?」

 先生の赤い両目がくるりと僕をとらえた。
 噛み切られたうどんが、ぼちゃぼちゃとどんぶりに落ちた。
「あー、もう子供みたいなことすんなよー」
 僕が取ってきたティッシュでテーブルやらセーターやら拭きながら、ようやく倉井先生はまともに口を利いてくれた。
「公務員だから、手当が出ています」
「あ、そっか。教員住宅だっけね。ふうん」
 先生は、たちの悪い不動産屋に目をつけられた、お客の入らない飲食店経営者みたいな顔になった。
 簡単に言うと『勘弁してください』だ。

 先生は言った。
「家出するなんて言わないでくださいね」
 困ったような声。
 うわ、心外だなあ!
「家出じゃないよ。同棲」
「渡辺くん!」
「あ。そうそう。さっきから言おう言おうと思っていたんだけどね、僕もう『渡辺』じゃないよ」
「……え?」

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