彼方の蒼
 倉井先生と会っても、別段変わった様子はなくて、僕は安心していた。
 体調も良くなったみたいだ。
 終わりのホームルームのとき、おかしなことを言った。
「去年の今頃、私はみなさんに風邪に気をつけてくださいと言った気がします。そのあと、私が寝込んでしまったのですが……」
 くすくすと女子の笑い声がして、先生もちょっとはにかんだ笑顔になった。
「今年は事情が違います。さっさと風邪ひいちゃってください。そうでなかったら、受験が終わるまで、耐えてください。私からは以上です」

 なんか……言うことがたくましくなったような……。
 僕か? 僕と寝たからか?
 考える間もなく、日直の号令。
 起立·礼·さようなら。

 ――結論を言うと、このときの僕の勘は当たっていた。
 それがわかるのは、もっとずっと先の話。

 
   ◇   ◇   ◇ 

 教室を出てすぐのところで、倉井先生を呼び止めた。
 廊下には他にも生徒がいるから、倉井先生も僕を見て警戒する様子はない。
 僕は言った。
「体の具合はもういいの?」
「……はい」
「ほんとに? 僕らも受験生だけど、先生も受験生クラスの担任なんだからな。気をつけてよ」

 倉井先生は僕をまじまじと見つめて、頷いた。
 そのまま行ってしまったんだけど……僕は気づいたよ。
 先生、背中を向ける直前、表情が崩れた。
 笑ってたんだ。


   ◇   ◇   ◇ 

 何日かのあいだ――美術室という行き場をなくした僕は、放課後、家に帰りもせずに教室でぐずぐずしていた。
 それほど仲良くもない女子たちがやってきては、『離婚してかわいそう』だの『こんな時期に離婚するなんて非常識な親!』だの、僕の代わりに怒ってくれた。
 その様子を見ていると、ああやっぱ、家出はやりすぎでもなかったよな、と思うのだった。
< 37 / 148 >

この作品をシェア

pagetop