彼方の蒼
とはいえ、なにがいけなかったのかは全然わからないので、謝りようがない。
倉井先生、どうしちゃったんだろう。
「僕、そんなに気に障ることを言った?」
「そのまえに、なにか私に言うべきことがありませんか?」
廊下のど真ん中での立ち話は邪魔なので、ふたりで窓側に寄る。
僕はカムフラージュのために持参したバインダーを開き、先生に相談している体を装った。
「言うべきこと。んー、なんだろう」
愛していますとか、そういうことですか? なーんて軽口を叩きそうになるのを堪える。
脊椎反射でアイラブユーってもう末期症状もいいとこ。
堪えたのは、石黒に言われたことが引っかかったからだ。
“あいつの言ったことがあいつのすべてだと思っているのだとしたら、思い上がりもいいところだ”
僕が混ぜっ返したら、倉井先生の話の糸口がなくなってしまう。
せっかく、自分から進んで話すことの少ない倉井先生がモノ申したいと言ってきているのに。
「なんだろう。わかりません」
いかにも調子に乗りそうな僕が殊勝な様子を見せたので、倉井先生はいくらか考え直してくれたようだ。
「言わないでおく約束だったのに、石黒先生に言ってしまったんですね」
「約束?」
「共犯者と言ったのはあなたですよ」
言わない約束? 共犯者?
僕と倉井先生のあいだで?
——なにか引っかかった。
もしかして、あれか?
僕が親の離婚で家を飛び出して、倉井先生のアパートに押しかけたときのこと?
他の先生方が必死に探しているというのに、倉井先生は僕をかくまってくれて、あとであれこれ言われるだろうから黙っておこうと口裏を合わせたんだった。
それを僕は先日、保健室の前で石黒を相手に言ってしまった。
……ん? あれ?
「や、違う。思わせぶりなことは言ってやったけど、ばらしてはいないよ」
してないしてない、と僕は大袈裟なくらい身の潔白を主張する。
ばらしてはいないけどそれに近いことをやった自覚はあった。
「でも」
「石黒がなにか言ってきたんだね。惣山のヤツがよお〜、ンなこと言ってたけどよお〜、それってマジ? とか」
「似てません」
「そっか。似てないんだ……」
「そんなにしょげなくても」
「それもそうだね」
気を取り直して、僕はもう一度問いただした。
「石黒になにを言われたの? それがあったから、石黒の口から結婚宣言が飛び出したの?」
倉井先生は答えなかった。
それはたぶん、イエスってことだ。
もうひとつ付け加えるならば、結婚宣言は石黒の暴走あって、今さっきの僕への怒り具合から察するに倉井先生はこんな展開は望んでいなかったんじゃないだろうか。