純愛は似合わない
そして殴るような勢いで、大きな手をすぐさま私の額に当てた。

「痛いっ」

私の声に反応を示すことなく、速人は呟いた。

「アイツの言う通り、熱があるな。……病院行くか」

瀬戸課長の親犬的心配症が彼を汚染したようだ。

「こんなの、大丈夫。一晩寝れば良くなるし。瀬戸課長が大袈裟すぎ」

「お前の判断なんか聞いてない」

蛍光灯の灯りはついているもののどこか薄暗い部屋の中、速人の闇色に染まっている瞳は真剣で。

至近距離にいること自体、苦しく感じる。

これと同じ距離に瀬戸課長がいても、笑いしか起きなかったのに。

速人のトワレを感じると息が苦しい。


「帰り仕度したら、地下の駐車場に降りて来い。10分だ。それで来なかったら総務まで迎えに行く」

「そんなの困るわ。勝手に決めないでよ」

「僕は何も困らない」

速人は、早くしろ、とだけ言うと、突き放すように私から手を離し踵を返した。


……10分って。


速人は喜怒哀楽が激しいタイプでは無いが、強引に我を通す。

それは彼の婚約者を演じているうちに感じるようになったことで、昔は思いも寄らなかった。

私が従順な人間ではないせいかもしれないが。

自分の紺色の制服を見下ろし、溜息を付いた。

住めば都と言うように、最初は望んだ訳でもなかったこの仕事にすら、それなりのやり甲斐を見出だして来た。

彼が本当に総務課まで来てしまったら、私の安住の地が脅かされることは間違いない。

面倒な噂話しと痛ましいほど向けられるだろう、好奇の目。それも、ただの社内恋愛ではなく相手は社長で。

考えただけでもゾッとする。

私は私服へ着替えるために、重い身体を引き摺りロッカーへと歩き出した。
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