純愛は似合わない
速人のいる社長室は、最上階の14階にあった。

黒くて厚みのあるドアを軽くノックして開けると、既に仕事をしているらしい社長秘書の松中さんがパソコンの画面を見ていた。

彼女は40半ばで、秘書の中でもずば抜けて有能な女性だと聞いている。

速人の父が会長職に就いた時、松中さんも引き抜いていくのかと思っていたが、速人の為に優れた片腕を置いていったのだろう。

「おはようございます、総務課の成瀬です。……社長にお取次ぎ頂きたいのですが」

松中さんはちらりと笑顔を見せた。その瞳には僅かばかり、好奇心の色が見え隠れする。

「あら、成瀬さん。今日も素敵な髪ね」

部屋の奥にある、あの扉の向こうに速人がいる。そう思うだけで、滑稽なほど緊張してくる。

松中さんは、私の穏やかならぬ心中など知るはずもなく、行きつけの美容院を言葉巧みに聞き出したその後で、ようやく社長室へと通してくれた。

応接セットの向こう側、ガラス張りの窓を背にした席に速人は座っていた。

重厚そうな社長の椅子にどっかりと座った速人は書類に目を通している最中らしく、松中さんが声を掛けたにもかかわらず、目を上げることもしない。

私は松中さんの手前、その場でただ待つことしか出来なかった。
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