甘い唇は何を囁くか
あの女のことを考えていた。

自分の気持ちが見えないまま、どうしてもあの女の声が、あの女の匂いが忘れられずにいた。

睡魔を知らないこの身体は、月の明かりを頼りにどこにでも行ける。

だからだろう。

理由なんかあるはずもない。

バンジェスの言ったことを鵜呑みにするつもりはない。

だが―。

シスカは、白いテラスを見上げた。

あの窓の向こうにあの女がいる。

そう思うと、何故か胸の奥が締め付けられるように感じた。

愛している…?

そんなはずがない。

この身にそんな感情が残されているわけがない。

そうじゃない。

絶対に、違う。

言い聞かせるように、頭の中で繰り返していた。

なのに…

それなのに、シスカは思い知った。

月光が僅かに照らし出すそのテラスに出てきた人影に、その髪の長さ、揺れるフリル。

女だ―。

ドクン

身体の奥で何かが脈打つ。

間違いない、あの女だ。

月を見上げるその視線が、ゆっくりと堕ちて来る。

その目が、シスカを捉えるまで時間は要さなかった。

シスカは硬直し、女と見詰め合ったまま息を詰めていた。

その時間は無限であり、一瞬であり、たまらなく・・・シスカは感じるはずのない感情が心の中を占めていくのを感じて、逃げるように視線を外した。

どうしてだ―?

なぜ、他の女のように感じることができない?

喰えない女など、もはや食物でもない。

自分が必要以上に追う価値などどこにもないような粗末な女だ。

なのに、どうしてこんなに―。

シスカは首を振り、自問して歩き出した。

なぜ、こんなところに来た。

なぜ、あの女は今、顔を出した。。。
< 84 / 280 >

この作品をシェア

pagetop