甘い恋飯は残業後に


叔父さんはわたしの肩をぽんと叩き、笑みを浮かべた。

「何だかわからんが、失うことを先に考えちゃ駄目だぞ。人生一度きり、悔いなくいけ、だ」


叔父さんの言っていることは、もっともだと思う。

でも、中身のないわたしが全力でぶつかって、もし失ってしまったら?
それ以前に得られなかったら……?


店の入り口の扉が開いて、難波さんが店内に戻ってきた。

わたしの隣に腰掛け、ため息をついたかと思えば、テーブルに肘をついて髪をくしゃりとしている。

その黒髪は見た目よりも柔らかそうに、ふわりと揺れている。いつかのシャワー後の彼の姿を思い出して、胸が小さく騒いだ。


「……どうした?」

「……いえ。難波さんこそ、美杉さんと何かあったんですか?」

「……いや、別に」

『美杉さん』という名前を口にしたら、喉の奥に何かが込み上げてきた。

――多分これ以上、笑えない。


「あの、わたしそろそろ帰りますね」

「さっき来たばかりなのにか?」

「ただ一杯ワインを飲みたかっただけですから」

バッグを掴み、立ちあがる。


「待て。送っていく」

「いいですよ、難波さんはゆっくりしていって下さい」

わたしは彼の方を見ずに、さっさとレジの方へと向かった。

「ったく、聞き分けのない」

吐き捨てるようなセリフが聞こえたかと思えば、難波さんは追い越し際にわたしのバッグを奪った。


< 204 / 305 >

この作品をシェア

pagetop