甘い恋飯は残業後に
短時間でお湯の沸く電気ケトルがシューと音を立てている。そこまで来てやっと気づいた。勢いよく立ち上がる。
「あの、飲み物ならわたしが」
白地に黒の線画のワンポイントが入ったTシャツとハーフパンツに着替えて、いつの間にかキッチンに立っていた難波さんの後ろ姿に声を掛けた。
彼は笑いながら振り向く。
「俺よりも上手くコーヒーが淹れられるようになったら、その時は頼むから」
大丈夫だよ、と気遣うような言葉は使わず、皮肉めいたことを言うところが難波さんらしい。一緒に仕事をするようになった最初の頃なら、鼻につく言い方だと嫌な気持ちにもなったかもしれない。でもよく考えれば、この方がこちら側は申し訳ない気持ちにならずに済む。
彼なりに気遣ってくれているのかも、と良い方に受け取ってしまうのは、彼のことを好きになったから、なんだろうな。そう思うとちょっと、悔しい。
「じゃあこれ、そっちに運んで」
手渡されたのはアイスコーヒー。ちゃんとコーヒー豆をドリップして作ったものだ。
良い香りが鼻をくすぐる。
「家にはトレーとか、そんな気の利いたものはないからこのままで悪いが」
「ふたつだけなら、手で持った方が零さずにすみますから」
笑ってそう言うと、難波さんは「万椰は零しそうだもんな」と余計なひと言を付け加えてくれる。
それに怒ってみせながらも、わたしは内心「万椰」ともう普通に呼ばれていることに嬉しさを感じていた。