薬指の約束は社内秘で
「優生が自分でつけた爪痕だとわかった。大人の事情を分かってたんじゃなかった。分かろうと必死で、泣きわめきたい気持ちを抑えて、親指を強く握りしめて出来たのがあの爪痕だった。

父親が亡くなって母親ともなかなか会えない生活に、心がついていかなかったんだろうね。

情けなかったよ。もっと早く気づくチャンスはあったはずなのに。
あの子とちゃんと――……正面から向き合ってなかった自分に」

松田課長と顔を合わせる度に新しく出来た爪痕。
それは自分の想いを押し殺した葛城さんの強さ、痛みの深さを表していた。


それからしばらくして新聞記者を辞めた母親とドイツに渡った葛城さんは、学生時代の大半をドイツで生活したという。

「お父さん譲りで賢い子だとは思っていたけど、向うでも名門の大学を卒業してね。その後は瀬戸モーターと離れた仕事に就いたから、数年前に転職してきたときは驚いたなぁ。

だから入社の経緯は僕にも分からないんだけど。優生のいまのポジションや会長の孫というのが社内で伏せられてることを考えると、会長の願いだったのかもしれないね。

でも、会長にもう一人孫がいたなんて話は、派閥争いに積極的な重役達が喜びそうなネタだからね。社内で優生のことが伏せられてるのは、会長が気を遣ったからじゃないかな」

そこまで話した松田課長は寂しげな笑みで、私に『ある願い』を託した――


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