薬指の約束は社内秘で
男女間の関係ですぐに思い浮かぶのは――
その先を考えようとすると頭がひどく痺れだす。

そんなわけない。だって、愛美から彼の名前を聞いたことはなかった。
この広い都会で同じ人と偶然出会って、同じように恋に落ちるなんてあるわけない。

煩く鳴り響く鼓動に言い聞かせる。
二人を見たあの日からずっとそうやって無理矢理納得してきた。

でも、いまにも泣きだしそうな愛美を見下ろす彼の瞳を私は何度か見たことがあった。

何か辛いことを押し殺すような切なげな瞳。
時折見せるそんな瞳に、ひどく胸が締めつけられたことを思い出す。
ずっと気になってた。何がそんなに彼を苦しめるのだろうと。

俯く愛美を見下ろす瞳は変わらず冷ややかなものだった。
けれど、そこには憎しみだけでない何かがあるように感じた。

葛城さんは私には関係ない話だと言った。
でも、二人とちゃんと話をしなくちゃいけない。

そう思うのに頭を過る不安の影に足が竦んで、立ち尽くすことしか出来ない。
どうしようと迷う私を動かしたのは、「お客さん、どうしました?」と背中に掛けられた声だった。

声がした方に視線を流す。
ついさっき乗ったタクシーの運転手が心配げに私を見つめていた。

日に焼けた浅黒い肌が静岡に住む父親のそれと重なって見えて、「ごめんなさい。もう一度乗せてくださいっ」思わず助けを求めるように後部座席のドアに手をかけていた。

勢いのある私の声に、「えっ。あぁ……いいですよ」と、彼は少し戸惑いながらも後部座席のドアを開けてくれる。
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