透明人間
 一週間、昇は頭痛に襲われていた。ベッドに寝込んでいたし、前よりも食べなくなった。私はもうすでに遠くにいるような気がする誠也のことよりも、一番近い存在である昇のことばかりを心配していた。頭の中にあるもやもやをかき消したいと思ったのかもしれないが、追い詰められている昇を放っておけないという気持ちもあった。もう寂しい思いをしたくないし、他の人にも味あわせたくはない。

 私は身の回りの家事やなんかをいつものようにこなし、昇の面倒も見た。会社も誠也もいない昇にはもう私しかいないと思った。奈落の底にいる昇に手をさし伸ばし、届かないと分かっていながらも希望だけは与え続けようとしている。

 そして看病だか看護だか介護だか、よく分からない日々がさらに一週間経った。昇は相変わらず元気を取り戻すことができず、ベッドから起き上がっていない。

 しかしそんなある時である。昇がベッドから起きて居間に来た。その時私はそこで洗濯物をたたんでいた。そして昇は言った。

「なぁ、しばらく考えたんだが…少し、離れて暮らさないか」

「へ…なんで」

 私は自ら起きてきた昇に疑問と尊敬の念を抱いていたが、それは疑問のみに変わった。不思議でたまらないのだ。昇はもう私しかいないはずなのに、自分から去ってしまうなんて、何故だか分からなかった。

「どうして…なの」

「なんか、俺、一人じゃないとだめになっていくような気がするんだ。しばらく離れて暮らせばどうにかなると思って…さ」

 私はその時初めて昇の言ったことが分かった。そして自分の今いる場所も分かった。

 昇は決して私のことを頼っていなかった。一人で考え、一人で決断した。本来なら私がいなくても全て一人でできていた。それよりか、逆に私のほうが昇に依存していた。昇の面倒を見ることで、昇がいることで自分が保てた。誠也の事を見ないで、現実を見ないで、私は昇を見ることによって現実から逃げていた。

 私はもとの自分に戻れなくなるようで怖くなった。

「いやっ、行かないで」

 つい出た言葉だ。のどからぽんと出た。

「いやっ…無理だ。落ち着いたら、戻ってくる。大丈夫だ。安心しろ」

 何も分かっていない。
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