歌舞伎脚本 老いたる源氏

冥府4

紫の上 ましてや子ができるなどとはもってのほか。
 私はその恐怖に何度も出家を試みましたが、源氏は
 私のこの苦しみなど気づきもしない。私を一人に
 しないでくれと泣きついてくる始末。

 情けないッたらありゃしない。結局私は死んじまったよ。
 ああ、もういや!男の無神経には虫唾が走る。
 二人とも、この冥府からはちょっとやそっとじゃ
 成仏できないようにしてやるから、覚悟をし!

(紫の上の影が大きな般若の影に変わる)
(ここで暗転し暗闇から声が聞こえてきます)

朱雀 おーい源氏?源氏はいないか?おーい。
源氏 どなたかな?源氏はここです。

(烏帽子、狩衣姿の影が二つ現れそれらしく動きよろしく)

朱雀 おお源氏か。わしじゃ。朱雀じゃ。
源氏 兄上、なぜまた冥府へ?
朱雀 なかなか成仏でけんのじゃ。娘のことが気になっての。
源氏 やはりそうですか。
朱雀 やはりとは?不幸なのか二人とも?
源氏 ええ、あまりお幸せではありませぬ。

朱雀 ああなげかわしい。そちに後見を兼ねて正室として
 嫁がせたのに。
源氏 それが不幸の始まりでした。
朱雀 なんと?
源氏 まさにこの縁談がすべての不幸の始まりだったのです。
朱雀 なんということを言うのだ、内親王だぞ。
源氏 それも障りになりました。

朱雀 幼いころからすべてに秀でたおぬしを差し置いてわしは
 帝を継いだ。お前を須磨に追いやったのちにわしは眼病に悩
 まされ飢饉、疫病、世は乱れ。夢枕に父帝が現れてこっぴどく
 怒られた。
源氏 そうでしたか。

朱雀 わしは生まれて初めて母君の意見に逆らって、おぬしを
 京へ呼び戻した。
源氏 誠にありがたき幸せ。
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