シーソーゲーム
 そして今、そこに入ろうとしている人影が一つ。光の反射ではっきりと顔が分かった。

「ミズ!!」

 ミズは水の底へと向かって歩いていく。もう膝の辺りまで浸かっていた。私の声も届かないのか、ミズは月明かりの下に今にも沈もうとしている。

 私は駆け出した。靴をすぐ脱ぎ、裸足でごつごつとした石の上を走る。血が出てきたのか、体に一歩走る毎に痛みが染み付く。足が水に触れた瞬間、体が震撼したように思えた。地球が寒くて震えたように、それが心身と体に染み渡る。膝辺りまで浸かると、これ以上は入れないような気がした。ここから先が異世界への扉に思えた。

 もう足が浸かるところまでないというところで、ミズの腕をつかむことができた。

「ミズ。どうしたの…いきなり…驚いたよ」

 まるでロボットのように、ミズは足を止めようとしなかった。

「どうしたの。こんなところにいると、風引いちゃうよ。ねえ、ミズったら」

 ミズの腕をぐいと引いた。だがミズは動じない。

 今気付いたことだが、ミズの腕は氷のように冷たかった。そしていくら力を出そうとも、岩のように固く、冷えた鉄のように硬直していて、動かなかった。

 そして私は嘘をつくことしかできなかった。

「もう私、あのこと…気にしてないから…」

「…ウソ」

 ミズはその水面上で、垂直に水平面の上に一滴の涙を着地させた。

 私は何もすることができなかった。私は嘘をついた。こんな時、この状況でミズのことを考えると、このことしかこの状況の離脱法が見当たらなかった。いや、凝視せざるをえなかった。

 ミズは鬱憤をためていて、たった今、吐き出そうとしていた。

「…何、いきなり。恩着せがましくして…あんたはただやりたいだけじゃない…何よ、私ばっかり…何が悪いって言うの?私があの時、何をした?なのにあんたは、ものすごい形相で私を見た。目つきだけで私を制圧しようとした。何を止めようとしたの?何?何の権限があって、私を束縛しようとするの?」

 この豹変振りに驚いたのは私だけだった。唖然だった。ミズがこんなに話し出すのはめったにないことだし、それに、怒ったところも初めて見た。いつもおとなしい彼女が、今目の前で変化した違う生き物になっているような気さえさせた。
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