シーソーゲーム
いつの間にか花火が始まっていた。音よりも無感な光が教えてくれた。彩る花火は暗い部屋の私の部屋に花を咲かせる。しかし私はそれが嫌だった。ムードとか関係なく、ただ向くなその花火が嫌だった。
すると雨が降り、それは豪雨と変わった。空に咲く花火は消沈し、遠くで聞こえていたわずかな笛のささやきもなくなっていた。
私が今感ずるものは何もない。無の心境の極地にいると思った。このまま時間が流れずに、地球は止まり、太陽の火は消され、地球以外の星が消滅する。
ベランダでそれを予言していた。
すべてが消されていた今、暗黙の了解で生きてきた者たちと一緒に眠った。同時に死を歩もうとしている自分をも見受けられていた。
儚いという言葉は何のためにあるのか。人の夢と書くが、それは本当である。もろく、崩れやすく、まさに人間自体を象徴している。人間とも読めそうだ。
目を真っ赤にして、大きなくまをつくって、しわくちゃですっかりでれでれに垂れた着物はベッドの下に滑り落ちていた。
太陽の光はなく、空は曇天に覆われていた。
私は起きず、しばらく動こうとはしなかった。
ベッドの下で無駄に騒ぐ携帯をよそに、布団に顔を埋めていた。朝から昼に、昼から夕に、そして夕から夜に、時間と空の変化は早く、まるで太陽のほうがとんでもないスピードで地球の周りを公転しているようだ。
しかし生活は変わるもので、夏休みの課題をせねばと思った。そしてやろうと思い机に向かうが、それは形だけで、実際はやっていない。だがそれの形もだんだん本物となり、勉強をやっては寝て、勉強をやっては寝て、それを繰り返した。外の変化を気にせず、空腹も気にせず、時間にも気にしなかった。ただ無心で、勝手に脳の機能が働いて、ただ虚しさと寂しさがその場を支配していて、その他のものを受け付けようとは、まして入ってこようとはしなかった。
そうやって幾日も過ごし、時々水を飲み、時々冷蔵庫のものをあさり、そんな生活が続いた。何も変化がない生活。その甲斐もあって、夏休みの課題は終わった。だが、最後の夏休みであるだろう、大切な日々を捨ててしまったようで、その後、泣かずにはいられなかった。悔し涙も混じり、その涙はすっぱく、切なさを物語っていた。
すると雨が降り、それは豪雨と変わった。空に咲く花火は消沈し、遠くで聞こえていたわずかな笛のささやきもなくなっていた。
私が今感ずるものは何もない。無の心境の極地にいると思った。このまま時間が流れずに、地球は止まり、太陽の火は消され、地球以外の星が消滅する。
ベランダでそれを予言していた。
すべてが消されていた今、暗黙の了解で生きてきた者たちと一緒に眠った。同時に死を歩もうとしている自分をも見受けられていた。
儚いという言葉は何のためにあるのか。人の夢と書くが、それは本当である。もろく、崩れやすく、まさに人間自体を象徴している。人間とも読めそうだ。
目を真っ赤にして、大きなくまをつくって、しわくちゃですっかりでれでれに垂れた着物はベッドの下に滑り落ちていた。
太陽の光はなく、空は曇天に覆われていた。
私は起きず、しばらく動こうとはしなかった。
ベッドの下で無駄に騒ぐ携帯をよそに、布団に顔を埋めていた。朝から昼に、昼から夕に、そして夕から夜に、時間と空の変化は早く、まるで太陽のほうがとんでもないスピードで地球の周りを公転しているようだ。
しかし生活は変わるもので、夏休みの課題をせねばと思った。そしてやろうと思い机に向かうが、それは形だけで、実際はやっていない。だがそれの形もだんだん本物となり、勉強をやっては寝て、勉強をやっては寝て、それを繰り返した。外の変化を気にせず、空腹も気にせず、時間にも気にしなかった。ただ無心で、勝手に脳の機能が働いて、ただ虚しさと寂しさがその場を支配していて、その他のものを受け付けようとは、まして入ってこようとはしなかった。
そうやって幾日も過ごし、時々水を飲み、時々冷蔵庫のものをあさり、そんな生活が続いた。何も変化がない生活。その甲斐もあって、夏休みの課題は終わった。だが、最後の夏休みであるだろう、大切な日々を捨ててしまったようで、その後、泣かずにはいられなかった。悔し涙も混じり、その涙はすっぱく、切なさを物語っていた。