プリンセスは腕まくらがお好き
デイリー製菓の来栖さんは、宣伝部を取り仕切るキーマンだ。
新人の頃、展示会で運良く名刺を手にして以来、何かと小さい仕事をいただいている。
しかし、テレビCMや大規模なメディア広告などは元来つきあいのある代理店から奪えずにいた。

今日の打ち合わせ次第では、大きな仕事をそっくり、うちが奪える可能性がある。
社長が代わり、全社的に外注業者の見直しをすることになったのだ。

(大チャンスだ。でも……)

LINEが鳴る。来栖さんだ。

『中にいます』

顔を上げる。
雑居ビルに隠れるようにして、目の前には重厚な扉があった。
看板も出ていない。いわゆる隠れ家バーだ。

(今日はフランクに打ち合わせたいから外にしようって言われたけど……)

ドアを押し開ける。
思いのほか広い店内は、深紅のライトで怪しく照らされている。

(うわ、なんかエロい……)

いかにも高所得者といった出で立ちの客たちに視線を泳がせ、来栖さんを探す。
彼はカウンターの奥まった席で、ウイスキーか何かを傾けていた。

「きたね、篠宮さん」
「お世話になっております」
「挨拶はいいから、座って。あ、彼女にも同じものを」

小さなスツールに腰かけると、すかさず大きな氷がつやつやと光る、ロックのウイスキーが差し出された。

(雄治との約束もあるし、飲み過ぎないようにしないと……)

明るい笑顔をつくり、来栖さんのグラスと乾杯させる。
来栖さんは、いかにもメーカーの人といった真面目そうな風貌だ。
歳は34歳。きちんとセットされた長めの黒髪に、いつも清潔で体に合ったなシャツを着ている。
結婚をしているが、本人の几帳面な性格から、身支度は自分でしているのだろうと思う。
切れ長の目に整った顔立ちで、うちの会社でも来栖さんのファンは多い。

(でもこのクールな外見に、だまされちゃいけないんだよなあ)

腰掛けたスツールは高く、足をめいっぱい伸ばさないとぐらついてしまう。
来栖さんは、ちらりとわたしの足もとを見やった。

「それで、企画なんですけど……」
世間話もそこそこに、わたしは企画書を取り出した。
暗い店内で企画書も見積書もよく見えなかったが、わたしは熱気をもって企画の解説をした。

企画書を覗き込むようにして乗り出した来栖さんの肩が、わたしの肩に触れる。

(来た!)

「篠宮さん。君の企画はいつも期待以上のものだ。今回も心配してないよ」
「それは……」
「今回のコンペも社内の規則上、形だけは開催するが、もう篠宮さんのトコロで話はまとまっているんだよ」
「本当ですか!」

わたしの歓声に、来栖さんは薄く微笑む。
彼の魂胆は分かっているが、ここはあえて、素直に喜んでみせる。

「きみはいつも頑張ってくれるからね」

来栖さんの置いたグラスから、氷がからん、とぶつかる音がした。

(あ……)

来栖さんの手のひらが、わたしのふとももに置かれた。
さっきまでグラスを握っていたせいか、ひやりとつめたい。

「そん…な。来栖さんの、ご指導のおかげです」

わたしは制止もせず、薄い微笑みを浮かべて話を続けた。

「いや、この間の販促物だって、流通さんから評判がいいよ」

そろり、と来栖さんの指先が内股に近づいた。
ぞわっと肌が粟立つ。

(やっぱり、そうだよね……)
(これも、仕事だから)

ストッキングは、駅のトイレで脱いできた。
企画だけじゃ、営業力だけじゃ、満足のいく仕事は取れない。
ここでの対応を誤るとどうなるかは、一年目のときに痛いほど経験していた。

「篠宮さんはね、本当に素直で。仕事が早くて。助かっているよ」

来栖さんの長い小指が、スカートのすそを、小さくずり上げた。
新たに露出した太ももに、手のひらごと、すべりこませる。

「来栖さん……」

わざとらしく眉を下げて彼を見ると、涼しげな笑顔を浮かべてわたしを眺めた。
指先が内股を、膝の裏からすすす、とさすり上げた。

「……っっ」
「どうした。篠宮さん。気分が悪い?」

来栖さんは楽しそうに首をかしげた。

(このへんにしとくか。もう十分楽しんだでしょ)

わたしは手を来栖さんの手の平に重ねた。

「来栖さん、今日は帰らないと……」
「どうして」
「後輩を置いてきちゃったんです。明日初のコンペで、わたしが抜けると彼女は何もできないから」

もちろん嘘だ。でもわたしは、心底残念そうな声をつくってみせた。

「来栖さん」

彼の手を、両手でにぎる。

「この企画が成功したら…また二人っきりで、打ち上げしましょうね」

わたしは名残惜しそうな来栖さんからそっと手を離し、店を出た。
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