この幸せをかみしめて
「まりぼう。おはようさんよ」

背後からの聞き慣れた声に、麻里子は振り返った。
喜代子よりもさらに年配の女性が、ちょこんと、そこに立っていた。
見事なまでの白髪頭が印象的な、少しだけ腰の曲がった小さなその老女は、遠藤公子(えんどう きみこ)という。
公子も敏三や喜代子と同じで、この村で生まれてこの村で育った。
当然、敏三や喜代子とは幼なじみと呼べる間柄だ。
十年ほど前に連れ合いを亡くし、今は一人で暮らしている。
となり町に息子夫婦が住んでいるという。
杖を突きながらの散歩が公子の日課で、その途中、畑にいる敏三と喜代子に声を掛けては、長々と喋り込んでいった。

『口が、少ぉーっし悪くて、やかましいけどね。基本、いいばあちゃんよ』

香奈子からこっそりと、そんなことを耳打ちされた数日後。
公子はまさにその情報通りの人物だと言うことを、麻里子は知ることになった。
珍しく、敏三の家の縁側に座って、喜代子と敏三を相手にわいわいと話しこんでいた公子に、お茶を出したときのことだった。

麻里子を上から下までじろりと眺めたのち、燃えカスのマッチ棒みたいな娘っ子だなと言い、ケタケタと公子は笑った。
あまりの言い様に、絶句した後に頬を引き攣らせた麻里子は(この、くそババアめ)と、腹の底で公子に対してそう毒づいた。

―きみこぉ。それはひどかんべ。
―少しは遠慮して、せめてカリントウくらいにしろぉ。

公子のその例えを窘めながらも、敏三も喜代子も一緒になって笑った挙げ句、別の例えをあげる喜代子に、それが孫に対していう言葉かと、麻里子は少しだけ恨めしげに喜代子を見た。

大きな胸もくびれたウエストもない、ギスギスしいほど痩せた身体と、コロコロに丸い顔。
そして、冬でも色あせることのない日本人にしては茶褐色なその肌は、麻里子のコンプレックスだった。

よってたかって、人か気にしていることをヅケヅケと言うなんてと、その胸中で盛大に憤慨している麻里子をよそに、公子と喜代子は麻里子の容姿をどう例えるかで異様なほど盛り上がり、その日以来、なぜか公子は麻里子のことを「まりぼう」と呼ぶようになった。

その公子が、杖をついた姿で背後にいた。
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