この幸せをかみしめて
「……そっか。タレ目のプータは、パン屋さんか」

ご同類などと勝手に決め付けてしまったことに、バツの悪さを覚えつつ、立ち去っていく公子の背中を眺めながら、ぼそりと、麻里子はそう呟いていた。
しかし、公子がくるりと振り返り「なんか、言ったかぁ」と尋ねてくるまで、麻里子は自分がなにかを呟いていたことにすら気づいていなかった。
それくらい、小さな小さな声で、無意識のうちに、麻里子は心に浮かんだその言葉を、口にしていた。

「……なにも」

言ってないよと、辛うじて、公子の耳まで届くていどのボリュームで、麻里子はそう答えた。
聞かれていたらどうしようと、内心では冷や汗をかきまくっていた。
麻里子からのその返事に、公子は目をシバシバと瞬かせて、ややあってから「そっか」と頷くと、またベンチへと歩き出した。
公子に聞こえてなくてよかったと、麻里子が安堵した瞬間、その公子が信じがたい一言を、男に向かい言い放った。

「おおい。タレ目のプータぁ、仕事はどうしたあ」

公園中に響き渡るようなその大声に、ゲートボールに興じていた老人たちは一斉に公子に目を向けて、やがてその一団から笑いの渦が沸き起こった。
麻里子は目を剥いて公子の後ろ姿を見つめたが、ベンチの男がむくりを身体を起こしたのを見て、くるりと背を向けた。

(く、くそババアッ)
(聞こえているんじゃんっ)

怒り吹きさぶ胸中で、麻里子は公子に対してそう毒づきながら、全速力で自転車まで戻ると、まるで逃げ出すような勢いで公園を飛び出した。
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