虫の本
「……由加、三つだけ聞かせろよ」
 彼等の視線に耐えかねた俺は、何とか声を絞り出す。
 今はとにかく、落ち着くのが先だった。
 Be cool、冷静になれ。
 俺には果たさなくてはいけない約束がある。
 その為には、確認しとかなきゃいけない事があるじゃないか……そうだろう、蒼井大樹?
「何で別れようなんて嘘を吐いたんだ?」
「ええ? あ、もしかして喫茶店での話?」
 流石に意表を突かれたのか、目を白黒させる由加。
 けど、今の俺には彼女を気遣う余裕が無い。
 少なくとも、“この由加”には今日一日俺と過ごした記憶があるようなのだ。
 それは別れ話が喫茶店で行われた事から、容易に想像ができた。
 それが分かった事だけでも収穫と言えよう。
 目を逸らす嘘のサインの事も含め、ますますこの由加が本物である可能性が高くなってきた。
 しかし、由加が答える前に糞天使が割り込んでくる。
「“持てる者”にこれ以上与えられる物など、何も無い」
「そうケチケチすんなよ、天使さん。どうせ死に逝く者の戯言(タワゴト)だろ? 冥土の土産って奴くらい、くれても罰は当たらねーと思うけどね」
「聞く耳は持たぬ」
 精一杯の虚勢で軽口を叩いてみるが、奴は頑なだった。
 そう言えば、俺の頭は邪魔だと言っていたか──情報を引き出すような真似は、かえって警戒されてしまっただろうか。
 とはいえ、こちらとて簡単に引き下がる訳にはいかいのだ。
 九死に一生を得るなら、ここ以外に無いのだから。
「今となったらどうでも良いっていうか、結果論的なんだけどさ、別れ話がこんな決別を迎える事の伏線だったのなら……ちょっぴり運命感じちゃうよね」
「由加と言ったか? 余計な事は言わなくて良い」
「彼氏の頼みだもん、その位なら良いじゃない。私も未練とか残したくないし」
「彼を“再生”させてから告げても、問題無かろう?」
 まあそうなんだけどね、と由加は答えるが、強い意思を宿した瞳はじっと奴を見上げている。
 彼女を見下ろす糞天使に、一歩も譲らないと言いたげな、そんな瞳だ。
 目は口ほどに物を言う。
 奴は、ふう、と溜め息を吐いた。
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