僕を止めてください 【小説】



「ま、そういうのは飽きるまで食うのがセオリーだ」

 と、幸村さんは片手でハンドルをさばきながらカツ丼についてクールな口調で語った。

「飽きるのにどれくらいかかるんですかね、そういうの」
「前回来た天ぷら蕎麦のターンは結構長かったな…えっと…1ヶ月…は食わなかったかぁ? 3週間かな?」
「似たようなもんですね。しかも揚げ物で」
「ああ、そうだな。揚げ物だな、そういや」
「カツ丼は?」
「4日目…か、今日で」
「始まったばかりですね」
「5日で終わるかも知れんぞ」
「あるんですか、そんなパターン」
「うーん…ない。2週間はカタい」
「偏りませんか」
「飯はな、一日3回あるんだよ。お前は食わなさ過ぎだ」

 “お前”になってる。怒ってるのか?

「怒って…ますか?」
「まぁな。飯は食え。いろいろあると思うが飯はちゃんと食え」
「…はい」
「俺だって…フォローできない時だってあるぞ」
「ええ…わかってます」
「心配させんなよ」
「ええ…ごめんなさい」

 車が急に路肩に止まった。いきなり大きな手で二の腕を掴まれたと思ったら、次はもう唇を塞がれていた。不意打ちのキスだった。僕は両手で幸村さんの肩を掴んでやんわりと押し戻した。これが問題なんだ。

「だめ…ですよ、こんなの」
「好きなんだよ」

 それを聞いて、僕の中の何かが溢れてきた。ブラインド…なにも見えない…その苦しさのなにか。

「だめですよ…答え…出てない…出せない…」

 首から力が抜けた。幸村さんの肩を掴んだまま僕はただうなだれていた。僕の背後からこの2日の苦悩がのしかかって来るようだった。

「呪いってものが本当にあるのかもって…思うくらい…頭が押し潰されそうで…考えると気が変になりそうで…まさか…仕事休むなんて…思わなくて…」

 掴んでた幸村さんの両肩から手が滑り落ちた。答えを出さなければ、幸村さんだけがただ辛くなっていくのに。僕があの時限定で幸村さんを受け入れたのは、後からどうすればいいか考えられると信じていたからなのに。

「…逃げてるの…自分で…わかってる…でも…だめなんだ…」
「逃げろよ」

 その言葉が唐突で僕は目を上げた。幸村さんが僕をじっと見ていた。困った顔をして。

「俺は岡本になにが出来るんだ?…とにかく俺は死なない…死なないよ…俺は」
「それが…いまここでわかったら…いいのに…」

 僕は耐え切れずにうつむいた。

「ああ、そうだな。ほんとにな…」

 そして運転席に戻って背中をシートに埋めた。少しの沈黙の後、幸村さんはボソッと呟いた。

「そしたら今はもう…カツ丼しか…ないな」
「カツ…え?」
「腹が減って死ぬ」
「それは…良くないです」
「だろ?」

 そう言うと幸村さんは180度その場の雰囲気を強引に捻じ曲げて、そしてアクセルをふかした。車が急発進すると、そのまま加速した。

「カツ丼しかぁ〜お前の救いはないと思えぇ〜!」
「まぁ…ええ…」
「取り敢えず話は腹の中がカツと飯でいっぱいになってからだ」

 僕はそういう楽観的な幸村さんに、後先考えず、初めて感謝の気持ちを感じた。






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