僕を止めてください 【小説】



 翌日、首の両側に消炎プラスターを貼り、フェイクのマスクをつけて仕事場に向かった。幸村さんからもらった夜用のドリンク剤は確かに効いたがそれでもダルさが残っているので、間違えないで飲めと言われた朝の黄色いラベルの瓶を1本、起き抜けに飲み干してみた。堺教授に今日は出勤する旨を電話で伝え、着替えてカバンを持って玄関に向かう頃には、ダルさも半分くらいは緩和している気がした。

 職場に着き、今日の予定を田中さんに確認した。昨日の遺体の写真のプリントアウトと鑑定書へのインデックス付けを頼まれた。その後教授室に挨拶に入った。仮病の経過と休み中のフォローについて謝辞を述べると、堺教授ははいはい、と言って笑った。

「ずっと休まなかったから、たまにはいいじゃない。なかなか3連休なんてないでしょ、ここ来てから」

 3連休などでは決してなかったが、そうですね、と言って頷いた。

「首、どうしたの?」
「ああ…寝違えました」

 早速、想定してたツッコミが入った。堺教授は同情に満ちた声で僕を労ってくれた。

「疲れてたんだねぇ。たまには休みなよ…とも言えないのがうちのツラいとこだけど」
「すみません。体力なくて」

 なんだか済まない気分になってきたので、取り敢えず話題を変え、昨日の遺体の説明と記録を見せてもらった。5歳の男の子だった。虐待死の疑いだという。

「病院からの通報だったって幸村君が言ってたよ。親は階段から落ちたとか言って誤魔化したかったらしいけど、病院に運ばれて昏睡からすぐに心肺停止になって、調べたら脳内出血があって、身体に20箇所以上の新旧混ざった打撲痕と栄養失調があったんで、担当医が通報したっていう経緯」

 僕は手渡された記録書類に目を通した。25歳の父と30歳の母親。2歳の子供を持つシングルマザーが年下の男性と再婚して3年目という家庭のようだった。

「児童虐待は発見も立件も難しいからねぇ。今回は医者と警察の連携が良かったから司法解剖に漕ぎ着けたけど。まぁ幸村君が司法解剖に回したってことは、可能性は高いなぁ」
「そうでしょうね。児相などにはこのケースは通告されていたんでしょうか」

 と、僕は記録書をめくりながら訊いた。児相とは児童相談所のことである。児童虐待での死亡が司法解剖にまで至るのは全体の1割でしかなかった。

「捜査始まったばかりらしいから、今後じゃないかな」

 死亡年月日は3日前の土曜日だった。

「遺体を見に行こうか」
「はい」

 僕と教授は地下の遺体保管室に向かった。








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