冬夏恋語り


翌週の水曜日、その日は東川さんが訪問する予定になっていた。

先月の夏祭り以来だから、東川さんに会うのもひと月ぶりだ。

二人で車の中で寝てしまったことも、ずいぶん前の出来事のような気がして、東川さんと顔を合わせても、笑い話にできそうだった。


ところが、やってきたのは東川さんではなく、営業所の所長と若い男性社員だった。

今月から担当になります滝田ですと挨拶があり、前任者はどうしたのかと父が尋ねると、

担当をはずれましたとスッキリしない返事だった。

挨拶もなく担当が替わったのかと父の機嫌は悪く、後任の滝田さんは何度も申し訳ありませんと頭を下げていたが、所長に促されてメンテナンスの仕事に取り掛かった。



あからさまに不機嫌な父と所長にお茶を出しながら、気兼ねなく話せた年下のちょっとおせっかいな彼の顔が浮かんだ。

急な転勤でもあったのだろうか。

会社員に転勤はつきもの、異動は仕方のないことだとは思うが、東川さん本人が来られなくても、せめて電話で知らせてくれてもよかったのにと残念な思いだった。


実は私、異動になりまして、今日はご挨拶に参りましたと所長の口上がはじまったが、父は 

「そうでしたか」 と言うだけで興味はなさそうだ。

会社の事情とはいえ、長く担当だった東川さんから異動の挨拶もなかったのが気に食わないのだろう。

父の不機嫌を察したのか、所長が意外な話をはじめた。



「今の若い社員は常識が備わっていない。困ったものです。私もほとほと呆れました」


「と言いますと?」



父の顔が所長の話に大きく反応した。

所長が持ち出した話は父の気を引くためだと思うが、若い社員の失態を他言するのはどうだろう。

いやな気分になりながらも、私は聞こえてくる声を耳で拾っていた。



「仕事さえ終われば何してもいいと思っているのでしょうが、場所を考えてほしいものです。

今の若い者は、職場をなんだと思っているのか。私も、厳しく言うつもりはありませんが、目に余ることでして」


「職場でなにか?」



所長の持って回った言い方に父はイライラしているのか、先を早く話せというように所長をぐっと見据えた。



「夜、会社の駐車場でデートです。それも車の中で、みだらな行為があったようです」


「みだらな行為ですか」


「えぇ、守衛の話によると車が揺れていたと言いますから、その、なんですか、

そういうことをしていたのでしょう。

場所もわきまえず、車をホテル代わりにするとは、いやはやまったく」



えっ……それって、もしかして、私と東川さん?

でも、車が揺れてたって……そんなことはないから、ほかの人?

デスクに戻った私は、書類に目を落としながら所長の話の先を息をつめてじっと待った。

もちろん書類の内容など頭に入らない。

父の低い声が 「御社の社員ですか」 と問いかけた。



「恥ずかしながら、そうでして……しかし、私の転勤前に処理できて良かった。

風紀を乱されては困ります。営業本部にも報告して、それなりの処分をと申し出たところです。

見逃すことも考えましたが、それでは部下のためになりませんから」


「それが東川君ですか」


「えっ、えぇ、そうです。

まぁ、そういうことですので、こちらへご挨拶もできなかったという……」



所長の言葉を遮るように父が大声で怒鳴った。



「所長、アンタ、東川君の話をちゃんと聞いたのか」


「はぁ?」


「守衛の話だけを聞いて、それを信じたっていうのか! えっ? どうなんだ」



手にしていた茶碗を、タンッとテーブルに叩きつけて膝を進める。

拳を握り締めているが、いまにも所長につかみ掛らんばかりに睨みつけていた。



「もっ、もちろんです。守衛からもあらためて話を聞きました。

深夜近くまで止まっている車を不審に思って近づいたそうです。

守衛のほかにも車を見ていた社員もいて、二人が乗った車が揺れていたようだと言うことで、営業所内でもずいぶん噂になっていまして、こんな噂があるが本当かと東川に尋ねました。

東川は否定しましたが、恥ずかしいことをしておいて、 はい、やりましたと、本当のことを言うはずはありませんからね。ウソに決まってます。

私にウソが通用するとでも思ったのでしょうか。甘いですね」


「アンタ、自分の部下より、外部に委託している警備会社の守衛の話を信じたんだな。

社員の噂話を信じたのか」


「小野寺さん、ちょっと待ってください。どうしたんですか。

あっ、さては、東川が小野寺社長に泣きついてきましたか」


「バカも休み休み言え!」


「そうではないと?」


「その日、駐車場の車に東川君と一緒にいたのはウチの娘だ!」


「えっ?」



それからは父の独壇場だった。

東川さんと私がどうして駐車場の車の中で寝ていたのか、あの日、東川さんから聞いた話を、よくも覚えていたものだと私も感心するほど、詳しく所長に説明したのだった。

話を聞き終えた所長は 「早急に事実を確認いたします」 とうろたえている。



「いまさら事実確認だと? これほど言っても東川君を疑うのか。

アンタ、人を見る目がないな」


「そっ、それは、東川が疑われるようなことをしたのであって」


「ほぉ、部下のせいにするのか。

では、ウチの娘も疑われるようなことをしたということだな」


「いえ、すべては東川の責任ですから」



どこまでも言い逃れをする所長は見苦しく、父は不快をあらわにしていた。



「社員の素行を軽々しく口にする、噂を鵜呑みにする、責任は部下になすりつける。

そんな人間が営業所の所長を務める会社は信用できん。今後の取引を考えさせてもらう。

それから、営業本部長は私の後輩だ。所長、アンタのことも本部に報告させてもらうよ」


「社長!」



待ってくださいと父にすがる所長の姿は哀れだった。

そんな騒動の中、新しい担当者の滝田さんは、黙々とメンテナンスをこなしていた。


< 17 / 158 >

この作品をシェア

pagetop